仏旗 寛栄山 大蔵院(だいぞういん) 天台宗[未]  DAIZOUIN TEMPLE 伊藤氏参拝済

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〒840-2204 佐賀県佐賀市川副町西古賀427 標高:4.8m MAP GMAP 0952-45-1271 ホームページ
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歴史

伊藤氏メモ 以下は、当院HPによる。

元文4年1739に開基の俊慶示が寂。      

俊慶死後、代々地神盲僧として、「地神陀羅尼経土公神の修法」を琵琶の妙音曲にのせて、信徒各家庭を回向祈願した。特に、四季の土用の地神祭りは、信徒各家の「家内安全、息災安穏、125当病平愈」を祈り、不動明王の御加護をといて信徒の帰依が増した。また、護摩供を修し、厄災除け・諸願成就を祈願したり、加持祈祷を修して多くの人々の難を救い信徒が遠方より参詣するようになった。

当寺は、盲目子弟を養育し、人生の明道を歩かしめ、代々この寺を護持してきた。明治になり、宝寛和尚の代になって、加持祈祷が盛んになり、徒弟・番僧を置き、町内だけでなく県内外各地に出向き、信徒の安心を一心に祈り、病気平愈・災難除け・縁談等の願いと一致する事象が数多く続き、信用と願掛けが盛んになった。特に、病弱な子どもの成長堅固・身代り守りの霊験はあらたかで、父母・祖父母に手を引かれて不動明王参りをした幼児もあった。

次の住職寛明代に寺院の復興・新築を発願し、昭和19年1944多くの浄財により、戦争真っただ中、現在の寺院が建立された。戦争中のため、物資不足の折りではあったが、寛明和尚の熱意と信徒の厚い発願、そして地元住民の献身的な奉仕で、昭和23年1948に落慶にこぎつけた。戦時中で男手は少なく、主婦の方々の労力奉仕に頼った工事であった。これを機会に、それまでは教会であったが、昭和27年1952本寺院に昇格、法人「大蔵院」として今日に至っている。()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ現中興第3世。第1世・第2世は盲僧であった。 

祭壇前には護摩台がある。祭壇中央には厨子があり中には本尊不動明王が祀られているが、12年ごとに開帳の秘仏である。本堂前の境内部には、松・桜・ソテツ・修行大師像が立つ。()