祥光山
星巌寺跡
[星巌禅寺跡]
黄檗宗
★☆☆
楼門
紅葉
報恩堂
五百羅漢
歴史
楼門脇の案内板の内容を記載する。
宗派は黄檗宗である。 貞享元年(1686)に小城鍋島家二代直能が初代元茂の菩提を弔うために発願し、三代元武のときに落成した。 寺名は初代元茂(祥光院殿月堂珊大居士)と二代直能(弘徳院殿星厳元晃大居士)の法名からとられている。 開山は小城出身の潮音道海和尚である。
江戸時代後期には敷地17町(約168、589㎡)あり、寺領80石であった。 江戸時代末期の敷地図では本堂、禅堂、斎堂、知客堂があるが現存していない。 現在は楼門、報恩堂、開山堂、五百羅漢、歴代住職墓所、小城鍋島家墓所がある。
- 楼門(佐賀県重要文化財)
- 楼門は嘉永5年(1852)に13代沢林和尚の代に完成しており、 小城鍋島家9代直堯が大檀那となっている。 大工は丹宗常十である。 俗に竜宮門と呼ばれ、中国文化の影響を受けたものと考えられる貴重な建造物である。
- 御霊屋(佐賀県重要文化財)※
- 小城鍋島家4代元延の御霊屋で和洋の禅宗様の折衷様式で屋根は本瓦葺きである。 内部には元延の墓碑がある。 県内では大名家の墓所建物が旧状を残したまま残存している例は少なく貴重な建造物である。
- 五百羅漢(小城市重要文化財)
- 江戸時代中期に小城三里西川の石工平川徳兵衛一族によって造られたのではないかと伝えられている。 現在は200体ほど残されている。
- 小城鍋島家墓所(小城市史跡)
- 小城鍋島家は初代元茂から11代直虎まで続き、 星厳寺の墓所には3、6、9代を除く8代の藩主の墓と親族の墓がある。 また、初代元茂に殉死した10人の家臣の石祠も祭られている。大名家の景観を伝え貴重である。
平成20年3月 小城市教育委員会
※「御霊屋」が報恩堂を指しているのか、一番奥の墓所の奥の赤い建物を指しているのか作者はわからない。
ひとくちメモ
広大な敷地面積である。 フェンスに囲まれた楼門脇を進むと広い空地があり、その先に石段がある。 そこを登ると正面に五百羅漢、開山堂、報恩堂がある。 五百羅漢の間の石畳をさらに進むと小城鍋島家の墓所がある。 あいにく墓所の扉は閉ざされており扉のすきまからお参りさせていただいた。
楼門・報恩堂共黄檗宗らしい中国風の建築である。 また、五百羅漢は圧巻である。
現在は無住のようで、平日昼間にお参りしたが、人気がなく特に御婦人方は単独でのお参りは避けたほうが良いかもしれません。
写真
開山堂(案内板によれば、中央に薬師如来坐像・右側に開山潮音和尚像・左側に華光菩薩像が安置されているとあるが、現在は内部は空でかなり荒れている。) 小城鍋島家墓所(扉は閉ざされており、扉の隙間から撮影) 廻廊(手前右の報恩堂・奥の開山堂をつないでいる) 報恩堂(拡大) 楼門 - 境内から撮影
五百羅漢の写真
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