heritage 丹坂大日堂(にさかだいにちどう) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 小城新四国霊場第4番

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〒845-0013 佐賀県小城市小城町栗原1436   標高:40.1m 地図 GMAP
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歴史

年代は不詳であるが、当大日如来は唐津で作像された。神埼市神埼にある九年庵周辺にある場所[1]に祀る為に作造されたもの。 作造後、唐津から神埼に運搬する途中、この地で突然、大日如来が動かなくなり、地元の人々は大日如来の意思と思い、この地に祀ることになった。

昔は4月28日のお祭りの日には多くの近在の大人・子供達がご馳走を持ち寄り、大変賑わっていた。(以上 地元の古老の話より)

また、このあたりは永禄6年(1563)、龍造寺隆信・千葉胤連の同盟軍が有馬氏・大村氏の連合軍を破った場所。 御堂は戦死者供養の役割もあるのかも知れない。

参考:金泉寺のページをご覧ください。

現在は、この北にある正法山 寿福寺の住職が祭祀している。

小城新四国霊場第4番(本尊:大日如来)。

御堂のすぐ裏手には丹坂地蔵菩薩・御堂前の一段下がった所には寺跡がある。

ひとくちメモ

大日如来像は柔らかい自然石から削り出されたもののようだ。

大日堂の裏手には「丹坂古戦場跡」(平成20年3月 小城市教育委員会)が設置されている。 まさに、この地が激戦地だったようだ。

現在は、周辺は梨(と思われる)畑となっている。 大日堂の前からは小城の町並みが木々の間から垣間見える。

写真

  • 再建寄進者名簿(平成2年(1990)銘。独特の書体である)
    再建寄進者名簿(平成2年(1990)銘。独特の書体である) 
  • 大日堂 - 丹坂地蔵尊を背にして撮影
    大日堂 - 丹坂地蔵尊を背にして撮影 
  • 弘法大師(台座に「大正8年8月吉日 大日堂修繕」などの銘) - 大日堂右後
    弘法大師(台座に「大正8年8月吉日 大日堂修繕」などの銘) - 大日堂右後 
  • 小城の町並み - 大日堂を背にして撮影
    小城の町並み - 大日堂を背にして撮影 

丹坂地蔵尊

丹坂地蔵尊の石祠
丹坂地蔵尊の石祠 
地蔵菩薩2体 - 丹坂地蔵尊の石祠内
地蔵菩薩2体 - 丹坂地蔵尊の石祠内 
丹坂地蔵尊の石祠(朱色に彩色されていたものと思われる)
丹坂地蔵尊の石祠(朱色に彩色されていたものと思われる) 

丹坂地蔵尊は大日堂の斜め後、山の斜面にひっそりとたっている。

当地蔵尊の由緒などは不詳。この地蔵尊も合戦の犠牲者の供養の為の尊像と思われる。

大きな石祠に2体の大小の地蔵菩薩が祀られている。

石祠は赤っぽい色をしている。元は朱色に彩色されていたものと思われる。


寺跡のこと

石門の残骸 - 大日堂下の平坦面
石門の残骸 - 大日堂下の平坦面 
大乗妙典一石一字寶塔(台座に「文政七年(1824)山威次申申小春吉日 臨濟正宗三十九世桂峰□月謹誌」銘) - 大日堂の裏手
大乗妙典一石一字寶塔(台座に「文政七年(1824)山威次申申小春吉日 臨濟正宗三十九世桂峰□月謹誌」銘) - 大日堂の裏手 

大日堂のある平坦面のすぐ下の平坦面に、石門の残骸が積まれている。 寿福寺住職のお話によると此処には昔、禅宗の寺院があったという。

大日堂の裏手の大乗妙典一石一字寶塔の台座に「文政七年(1824)山威次申申小春吉日 臨濟正宗三十九世桂峰□月謹誌」という銘が確認できる。

「臨濟正宗」とは黄檗宗のこと。この銘の「三十九世桂峰□」が住職を勤めていたお寺なのかも知れない。


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脚注