bukki 玉照山 光旭寺(こうぎょくじ) 日蓮宗

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〒845-0033 佐賀県小城市三日月町樋口336   標高:7.9m MAP GMAP 0952-73-2481 
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歴史

伊藤氏メモ応永5年(1398)の創建。開山は同じ三日月町の勝妙寺第6世日光上人、開基は檀越千葉大隅守胤継。

蒙古襲来に対し防戦態勢が急がれていた文永8年(1271)、千葉頼胤は幕府の命を受けて九州に下向し、所領の肥前国小城に赴き博多で警護番役に就いたが、文永11年蒙古との戦(文永の役)で傷を負い、翌建治元年(1275)小城の地で没した。

頼胤を失った世嗣・宗胤は、弟に千葉本家を継がせ、自らは肥前国小城に赴き蒙古襲来の警護に当たった。

宗胤の子・胤貞は、中山法華経寺(千葉県市川市:日蓮宗大本山)第2代貫首日高上人に深く帰依した。日高上人とは、日蓮聖人面授の弟子で、日蓮聖人が身延に隠栖されたとき、側近に待りその修行時代を日蓮聖人の傍で送るとともに、後に宗門の中心として教団の基礎造りを果した高僧である。胤貞は日高上人に中山法華経寺の俗別頭として迎えられ、貫首と並ぶ権限をもった。胤貞の後楯により中山法華経寺を中心に教団は急速に発展した。胤貞は小城松尾山光勝寺の開基檀越でもある。

日高上人が入滅した後、胤貞の養子・日祐上人が、中山法華経寺第3代の貫首となった。胤貞の後を継いだのは胤継で、父に劣らず日蓮宗の信仰に熱心で、日祐上人に対して田畑を寄進したのをはじめ、その活躍を支えた。この胤継が光旭寺の開基檀越である。 (「日蓮宗佐賀県宗務所/HP」より)()

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

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