金泉寺
[滴清寺・弾除け観音]
仏教礼拝所
★★☆
唐津街道
伊藤氏参拝済
小城新四国霊場第3番
- 住所・電話
- 〒845-0012 佐賀県小城市小城町池上2306 標高:50.3m 地図 GMAP
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歴史
伊藤氏メモ元々は住職のいたお寺であり、戦時中には弾除け観音として多くの人が訪れていたという。現在は住職はおらず地元地区で管理している。寺院創設は少なくとも江戸期以前のようらしいという(この項は、近在の方の話による)。()
参道口の前の道は、旧唐津街道である。 長崎街道牛津宿追分より唐津城下に至る街道である。
こんな立派な寺跡があるのに、作者がネットで探した限り情報は皆無。何故だろうか?
ひとくちメモ
伊藤氏メモ県道332号線沿いにある参道入口から140段ほどの石階段・セメント階段を上って本堂域に着く。参道両脇は草木。参道中ほどには石造りのアーチ門がある。
無住の古い本堂には、[小城新四国第3番 本尊釈迦如来]の掲示があり、光明真言のひらがな文も付記されている。 本堂前には、石燈籠や石造常夜灯が各一対立っている。 参道口から東の方を見ると、山の中腹に大きく[ブラックモンブラン]と看板掲示されたおなじみ竹下製菓の本社・工場が目に入る(ページ最下部に写真を掲示しています)。()
本堂は小山のほぼ山頂にある。参道口から本堂域までの高低差は40m超。本堂の扉は閉められ、堂内は拝めなかった。本堂の屋根は覆屋で覆われている。本来の屋根は茅葺きかもしれない。 本堂に向かって左手には多数の石塔・石仏群がみられる。
当寺の東側は丹坂峠古戦場がある。
参道の写真はページ中段にまとめて掲示しています。
写真
本堂の扁額 霊場札「小城新四国第3番 本尊釈迦如来」 本堂前の石仏 古井戸 - 本堂脇 石塔・石祠群 - 本堂に向かって左手 石造五重塔 - 本堂に向かって左手 石造五重塔最下部の石仏 - 本堂に向かって左手 石塔・石祠群 - 本堂に向かって左手 石塔・石祠群 - 本堂に向かって左手 本堂
丹坂峠古戦場
本堂前の小道を尾根伝いに東北方向に50mほど行った所に「丹坂峠古戦場跡」(金泉寺と反対側を指す)・「滴清寺(弾除け観音)」(金泉寺側を指す)と記された2つの古びた道標が立っている。当寺は「滴清寺」が正式名なのだろうか? 本堂前で参拝中通りかかった地元の方に伺ったが、はっきりした事はわからなかった。
丹坂峠古戦場とは永禄6年(1563)、龍造寺隆信・千葉胤連の同盟軍が有馬氏・大村氏の連合軍を破った場所とある(龍造寺隆信 - Wikipediaより)。当時からこの寺がここにあったとすれば、寺もこの戦いに巻き込まれた事は想像できる。
現地住民からの聞き取りで戦場付近の畑からは20本以上の刀が見つかったという証言もある。 福田寺(小城市芦刈町芦溝)の住職が『丹坂峠の戦い: 龍造寺隆信、智謀と決断カエサルに似たり (MyISBN - デザインエッグ社)』を著しておられる。 (Links① より)
参道
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参道はなだらかだが、一直線に本堂域に登るルートである。かなりきつい。 参道口には門柱。その脇には大黒天・石塔がみられる。ほぼ中間地点に石門がある。 途中には野仏・ちょっとした梅林がみられる。 石段の途中からは小城の町並みを眺めることができる。
一直線の坂道の参道を縫うように、農道が通っている。本堂の横には車でも行けます。
竹下製菓の本社・工場
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当社のメイン商品「ブラックモンブラン」アイスクリームのメーカー。
作者も年に数回は頂いている。
場所はこちら。
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Links
①龍造寺と有馬の合戦、史料から丹念に読み解き 小城市の東さん「丹坂峠の戦い」刊行 北部九州の勢力図の変遷を考察|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE