heritage 小枩山(こまつざん) 建保寺跡(けんぽうじあと) [建保禅寺] 臨済宗 ☆☆☆ 天満宮 木造千手観音菩薩立像 小城新四国霊場第10番

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〒845-0014 佐賀県小城市小城町晴気   標高:129m 地図 GMAP
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歴史

蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(1213-1278)による開山。(Links① より)

観音堂の後方左手の坂の上の天満宮の嘉永5年(1852)建立銘の鳥居に「建保禅寺」「積善禅庵」の名が記されている。 少なくとも江戸末期までは当寺は存続していたのだろう。 ここで「積善禅庵」とは当観音堂の西側にある、積善寺のことだろう。

本尊の木造千手観世音菩薩立像(像高111cm・檜材・10世紀前半の制作と推定)は小城市重要文化財。

小城新四国霊場第10番(本尊:千手観世音菩薩)。

ひとくちメモ

建保寺跡は晴気の集落の山裾にある。今は観音堂を残すのみである。

観音堂内には天井に届くほどの厨子があり、その中に本尊千手観世音菩薩が祀られていると思われる。 厨子の前は布で覆われ、尊像を拝むことはできなかった。

周辺は静かな山村風景となっている。

観音堂・天満宮周辺の地面には岩・コンクリートブロック等が散乱している。 イノシシの所業と思われる。

参道口には巨大な板碑があり、これが目印になる。 参道口より100m余り下ったところに野仏がみられる。

写真

  • 厨子(巨大な厨子である。前面に布がかけられ観音様は拝めず) - 観音堂内
    厨子(巨大な厨子である。前面に布がかけられ観音様は拝めず) - 観音堂内 
  • 絵馬(元は天満宮にあったものと思われる) - 観音堂内
    絵馬(元は天満宮にあったものと思われる) - 観音堂内 
  • 御詠歌が書かれていると思われる額
    御詠歌が書かれていると思われる額 
  • 霊場札
    霊場札 
  • 観音堂脇の石塔・石仏群
    観音堂脇の石塔・石仏群 
  • 観音堂脇の石塔・石仏群
    観音堂脇の石塔・石仏群 
  • 晴気の風景 - 境内より撮影
    晴気の風景 - 境内より撮影 
  • 石段途中の石祠・石仏
    石段途中の石祠・石仏 
  • 参道口
    参道口 
  • 参道口の巨大な板碑(「天満大神宮」の文字が確認できる)
    参道口の巨大な板碑(「天満大神宮」の文字が確認できる) 
  • 参道 - 観音堂境内から撮影
    参道 - 観音堂境内から撮影 
  • 石段
    石段 

天満宮

社殿 - 天満宮
社殿 - 天満宮 
社殿(横から撮影) - 天満宮
社殿(横から撮影) - 天満宮 
社殿内 - 天満宮
社殿内 - 天満宮 
境内風景 - 天満宮
境内風景 - 天満宮 
鳥居 - 天満宮
鳥居 - 天満宮 
鳥居の銘(部分拡大「小枩山 建保禅寺」が確認できる) - 天満宮
鳥居の銘(部分拡大「小枩山 建保禅寺」が確認できる) - 天満宮 

天満宮の鳥居は観音堂の左手奥にある。そこから20段ばかりの石段を登ると社殿の前に到着。

鳥居の柱には「維時嘉永五(1852)龍舎壬子(後略)」「小枩山 建保禅寺 □□ 積善禅庵 見□神□代建□□ 施主 氏子中」などの銘が確認できる。

建保寺・積善禅庵(現積善寺)の両寺は当社と密接に関連していたことが想像できる。


野仏

全景 - 野仏
全景 - 野仏 
尊名不詳の石仏 - 野仏
尊名不詳の石仏 - 野仏 
尊名不詳の石仏 - 野仏
尊名不詳の石仏 - 野仏 

参道口より100m余り下ったところの道端に野仏がみられる。

2体が露座しておられる。両尊像の尊名は不詳。

野仏は建物の礎石と思われるものの上に鎮座。 昔はお堂があったのかも知れない。


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