仏旗 霊験山 圓明寺(えんみょうじ) [円明寺] 天台宗  ENMYOUJI TEMPLE 木造地蔵菩薩半跏像千葉城址 小城公園 小城新四国霊場第30番

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〒845-0004 佐賀県小城市小城町松尾588 標高:40.5m MAP GMAP 0952-73-3728
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円明寺

歴史

佐賀県の歴史散歩』の内容を引用する。

(前略)『北肥戦史(ほくひせんし)(九州治乱記)』によれば、文明2年1470千葉氏の内部抗争は、尼寺(現大和町尼寺)や千葉氏城下で行われ、圓明寺はこのとき被災した。 現在、同寺には元徳元年1329に安置された木造地蔵菩薩半跏像(県重文)が残っている。

山門脇の観音菩薩像の台座に「宝暦2壬申1752」の銘あり。境内の観音堂には「小城四国 第30番」の表示あり。

参考:境内の案内板

ひとくちメモ

寺は石垣の上にある。石段を登ると山門がある。山門両脇には地蔵菩薩・観音菩薩像がみられる。 本堂は鉄筋コンクリート造り。木造地蔵菩薩半跏像は残念ながら拝めなかった。 境内は桜の木が多数みられる。 西隣の山上には千葉城跡がある。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門 - 境内より撮影
    山門 - 境内より撮影 
  • 山門脇の地蔵菩薩像
    山門脇の地蔵菩薩像 
  • 山門脇の観音菩薩像(台座に「宝暦2壬申」銘)
    山門脇の観音菩薩像(台座に「宝暦2壬申」銘) 
  • 山門
    山門 
  • 山門(石柱で支えられている)
    山門(石柱で支えられている) 
  • 観音堂(「小城四国 第30番」の表札あり)
    観音堂(「小城四国 第30番」の表札あり) 
  • 観音堂内部
    観音堂内部 
  • 参道口 - 祇園川の土手より撮影
    参道口 - 祇園川の土手より撮影 
  • 参道口の石祠・石塔
    参道口の石祠・石塔 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 参道(石垣の上が境内、前方に山門が見える)
    参道(石垣の上が境内、前方に山門が見える) 
  • 本堂の屋根にあしらわれている「鍋島花杏葉」
    本堂の屋根にあしらわれている「鍋島花杏葉」 
  • 門前の祇園川(右手が圓明寺)
    門前の祇園川(右手が圓明寺) 
  • 祇園川 - 少し下流の彦島橋より撮影
    祇園川 - 少し下流の彦島橋より撮影 

千葉城址

圓明寺の参道口より川沿いに100mほど下った所に登り口がある。 そこより車で約5分程度登った所である。 城跡では礎石などの遺構は確認できなかった。 現在は公園として整備され展望台が設置されている。 ここからは小城の町並みが一望できる。

  • 千葉城址からの眺望 - 西南方向に向かって撮影
    千葉城址からの眺望 - 西南方向に向かって撮影 
  • 小城の町並み(小城羊羹の村岡総本舗の建物が見える) - 千葉城址から撮影
    小城の町並み(小城羊羹の村岡総本舗の建物が見える) - 千葉城址から撮影 
  • 石碑
    石碑 
  • 展望台
    展望台 
  • 千葉城の案内板
    千葉城の案内板 

境内の案内板

佐賀県重要文化財 木造地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代)

本像は右手で錫杖を軽く握り、左手で宝珠を持って極く自然に左の膝の上に置き左足を踏み下げて岩座上に坐すいわゆる半跏像である。

構造は寄木造、目には水晶をはめ込み真実の目に近い感じを出している。 材はヒノキ。木肌には麻布を貼り漆で整え、肉身部は全衫[1]にし、長い歳月により剥落はあるが袈裟には牡丹唐草文が褊衫(へんさん)[2]には八峰輪宝(はっぽうりんぽう)、三鈷杵唐草文が描かれていて往時の美しさを偲ばせている。

とりわけ本像の秀麗な面だち堂々とした全体の構成、正確な衲衣(のうえ)[3]の表現には作者の並々ならぬ優れた技倆が感じられ、この像が中央の洗練された仏師の工房で制作されたものであることを推察させている。

なお、胎内に書き付けられた記録により鎌倉時代末期の元徳2年1330に小城地方を納めていた千葉胤貞が圓明寺本尊として安置したことが判明した。

像高 124.3cm
坐高 87.8cm

なお、本寺には南北朝時代に平安時代の仏像の頭部を修復した阿弥陀如来坐像、南北朝時代正平23年1367に作られた薬師如来坐像の2体が安置されています。

昭和59年12月 圓明寺