heritage 堤雄神社(つつおじんじゃ) [裹尾神社] 神道 ☆☆☆ 肥前鳥居 長崎街道

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〒849-0502 佐賀県杵島郡江北町佐留志2630   標高:49.9m 地図 GMAP 0952-86-3348 
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歴史

社殿前に張り出された由来記の内容は次の通り。

堤雄神社(つつおじんじゃ)

祭神:武松成満公(たけまつなりみつこう)猿千代麿(さるちよまろ)石若麿(いしわかまろ)[1]

(中略)

景行18年(88)、景行天皇がこの地に立ち寄られ大嶽大明神を御鎮祀。

天平初年(729)、藤原不比等公(藤原鎌足のニ男)の御連子、武松成満公、肥前国杵島郡裹尾[2]の庄に下向ありて、 此の里に館を置き男子二人を設けて長を猿千代麿、次を石若麿。 天平12年、成満公死去、その後父子三人を祭神と奉祀す。

仁明天皇、嘉祥3年(850)、太政官府を下し国内に祭る所の神社神階を進められ、翌仁寿元年(851)、無位堤雄神社に正六位上を授けられる。 神階記によれば、任和元年(885)従五位上となる。 源平の後、猿石の庄(現在、佐留志と書けり)の地頭職前田氏の尊崇篤く数々の寄進あり。 永禄6年(1558)龍造寺隆信公此の地にある有馬の兵を追い退け初めて国家の祈願所とせられ社領改め寄附せらる。

鍋島家になりて、尊崇の念特に篤く藩主の祈願社として奉祭される。

明治6年(1873)に郷社。昭和4年(1929)2月に県社に昇格。

参道口は長崎街道である。一の鳥居は肥前鳥居である。

町名「江北町佐留志」は「こうほくまち さるし」と読む。

ひとくちメモ

一の鳥居をくぐる。ここから先150m程はだらだらの上り坂。 その先に石段があり、さらに50mほど登れば、左手に社務所がある。 その先の石段を登れば社殿のある平坦面にたどり着く。

神殿の軒下の飾りは凝った造りをしている。 社殿に向って右手には、祗園社・鐘楼(梵鐘は無い)・石塔・石仏群がみられる。

社殿に向って左手の坂の上には文殊社(堂)が祀られている。

写真

  • 神殿
    神殿 
  • 神殿軒下の装飾
    神殿軒下の装飾 
  • 祗園社 - 社殿に向って右手
    祗園社 - 社殿に向って右手 
  • 文殊社(堂) - 社殿に向って左手の山中
    文殊社(堂) - 社殿に向って左手の山中 
  • 文殊菩薩 - 文殊社(堂)
    文殊菩薩 - 文殊社(堂) 
  • 石塔・石仏群 - 社殿に向って右手
    石塔・石仏群 - 社殿に向って右手 
  • 大黒天(後ろ姿) - 社殿に向って右手
    大黒天(後ろ姿) - 社殿に向って右手 
  • 鐘楼堂(梵鐘は無い) - 社殿に向って右手奥
    鐘楼堂(梵鐘は無い) - 社殿に向って右手奥 
  • ニの鳥居
    ニの鳥居 
  • ニの鳥居の束額(「裹尾神社」)
    ニの鳥居の束額(「裹尾神社」) 
  • 石段(ここを登れば社殿域。左手に社務所がある)
    石段(ここを登れば社殿域。左手に社務所がある) 
  • 参道途中のグラウンド(東隣りの宗光寺(手前)と福正寺の屋根が見える) - 望遠にて撮影
    参道途中のグラウンド(東隣りの宗光寺(手前)と福正寺の屋根が見える) - 望遠にて撮影 

一の鳥居

一の鳥居前の十字路(左:堤雄神社、中央:宗光寺、右:福正寺)
一の鳥居前の十字路(左:堤雄神社、中央:宗光寺、右:福正寺) 
一の鳥居 - 境内から撮影
一の鳥居 - 境内から撮影 

立派な肥前鳥居である。 額束には「正一位社」と刻まれているが、 柱からは建立銘などは読み取れない。

ここは十字路となっており、鳥居の脇には仏堂、鳥居をくぐって直進すれば当社、少し右手に行けば宗光寺の中門、右に折れれば福正寺へ参拝する道がある。

ここを起点に4ヶ所の寺社を参拝できる。


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脚注