潮塞観音
仏教礼拝所
白石新四国霊場第10番札所
歴史
大正3年(1914)8月25日、杵島・佐賀・小城・藤津の各郡内を高潮が襲い、 甚大な災害が起こった。 その災害のさなか、近郊の堤防が相次いで決壊。最後の砦であった本堤(五千間土井)も決壊しかけた頃、1家屋[1]が流れ着いたおかげで辛くも決壊の危機を免れることができた。 後日、そこから発見されたのが千手観世音菩薩坐像であった。 人々は文字通り千本の手で堤防の決壊を塞でくれたとして「潮塞観音」と呼び厚く祀ることになった。
毎年、8月25日には地元の人々による「潮塞観音」祭りが開催されている。(Links① より)
当観音像は明治30年(1897)頃大弘寺より勧請し、ここより500mほど南(現在の観音搦)も祀られていたもの。(御堂内の由来書より)
白石新四国霊場第10番札所(本尊:千手観音)。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。