heritage 慈雲山 西福寺(さいふくじ) [西福禅寺] 曹洞宗 ☆☆☆ 長崎街道 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒849-2102 佐賀県杵島郡大町町福母2116   標高:34.7m 地図 GMAP 0952-82-5553 
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歴史

境内の案内板の内の内容を下に記す。 (手書きの文章で、一部字がかすれ判読不能の部分がある。案内板はカタカナ表記であるが、ひらがな表記に変更している。)

慈雲山西福禅寺(曹洞宗)開創沿革

元禄(1688-1704)の初期、開山華[1]翁功英禅師(享保7年(1922)正月29日寂)は下潟区より現在地に移転。 以後約300余年の歴史を経て今日に至る。 開基は鍋島城主山城守藤原直紹公で法名無動軒前京兆静恒回運大居士。 尊霊 旧本堂、庫裡は棟続きで葦葺きの屋根であった。 幸い兵火や風雪の災難に遭うことなく今日に至るも白蟻の被害甚大にして先に本堂解体をして再建す。 維時昭和44年見事に完成す。

次に、昭和58年庫裡を改築し境内も整い輪奥の美を再現する事が出来たのも佛祖の加護と檀信徒並に有縁の信者のご協力の賜と深く感謝致して居ります。

次に、山門(木造)江戸時代の建築でしたので度々の補修をなす。

次に、経蔵(無形文化財指定)あり。中に傅大士の木像が安置され(輪堂考案者)、又文殊菩薩、普賢菩薩共に(石像)江戸時代作が安置されています。

次に、本堂内陣には如意輪観世音菩薩(木像)門頭には同型の如意輪観世音菩薩(石像)が安置され往来の人の為にと台座に深く刻されている。 毎年7月18日西福寺観音様祇園祭として古くから善男善女に親しまれています。

次に、鐘楼門の旧梵鐘は大東亜戦争のため昭和17年秋應召供出され鐘なき楼門は老朽甚しく解体せざるを得なくなった。 現楼門は元杵島炭鉱社長高取九郎殿一手建立にて寄進さる。 昭和25年5月新築完成す。 梵鐘 檀信徒並に有縁の信者達多数の浄財にて鋳造(重量16貫)昭和25年8月■■■■■■。

  • 位牌所(昭和44年落成)納骨堂(昭和48年落成)
  • 十六羅漢像(寄せ木造)16体完全(年代不詳)
  • 十王絵図掛軸拾本(正徳2年(1712)作)
  • 涅槃像大絵図の掛軸(江戸時代作)
  • 「選佛場」「西福禅寺」の大扁額は開山華翁功英禅師直筆にて今に立派にして揚げてある。
  • 「楽天知命」の橫額あり。文久2年(1862)七卿の都落ちの一人正ニ位東久世通禧卿直筆である。
  • 西福寺中興記の大橫額もあり。詳細に歴史を記してある。

以上、色々書き下しましたが開山300余年の歴史に感謝し報恩授戒会を修行するに当りこの掲示を張ることにしました。

維時 昭和60年(1983)3月 當寺第19世 青雲禪龍比丘誌す。

(後略)

門前は長崎街道である。 地名「杵島郡大町町福母」は「きしまぐんおおまちちょうふくも」と読む。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ経蔵については、「大町今昔おさんぽマップ」に以下のように記載されている。

元禄時代(1688-1704)の初期の作で、八面からなる経架におよそ3800冊の経本が収められている県下で唯一のもの。八角形の経蔵が一本の心棒で支えられて回転するようになっており、一回転させれば全部のお経を読んだのと同じ功徳があると言われている。

また、本堂左手にある杵島炭鉱殉職者慰霊碑については、「大町今昔おさんぽマップ」に以下のように記載されている。

閉山後の昭和62年(1987)に建立。落盤事故等で職に殉じた炭鉱労働者の鎮魂と冥福を祈るために建てられた。炭鉱隆盛の陰で多くの先達の血と涙と汗が流されたことを忘れてはならない。慰霊碑に合祀された殉職者数は、杵島炭鉱創業以前の赤坂口・福母炭鉱時代を加え700柱を超える。()

、長崎街道を踏査中に門前を通りかかり急遽の参拝となった。 当時は街道の踏査が目的でゆっくり参拝できなかった。 所蔵されているという経蔵は一度拝見したいものである(Linksのページに写真掲載されている)。 機会があれば、再度参拝の上記事を更新します。

写真

  • 観音堂脇の案内板
    観音堂脇の案内板 
  • 境内の案内板
    境内の案内板 
  • 門前の長崎街道
    門前の長崎街道 

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脚注