heritage 六角神社(ろっかくじんじゃ) 神仏習合 ☆☆☆ 長崎街道 肥前鳥居

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〒849-1111 佐賀県杵島郡白石町東郷2185   標高:4.8m 地図 GMAP
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

六角神社 由緒

祭神

 村上天皇 猿田彦命 海津見神 保食神 天忍穂耳尊 岡象女神 市杵島姫命

 菅原道真 天照大御神 景行天皇

この社はもと2社にして1社は「佐々木天神」とも言われ佐々木氏と関係が深く後年には仁王門等があって「仁王天神」ともいわれ、 社殿も整い尊信されていた。 社記には「文治3年(1187)佐々木高綱が宇治川の戦功により源頼朝公より六角の荘を賜り、守護神として天満宮を創始す」とつたえられている。 また佐々木氏の後裔藤原頼英が守護神として菅原道真を奉齊したともいわれる。

延徳3年(1491)12月六角領主家為は本社を再建する。 家為の家計・六角より出、文政の頃(1818-1831)までは子孫所縁の者藩主のお側役を勤めていたという。 天正14年(1586)3月龍造寺政家が宝殿拝殿並びに神門を再建した。

他の1社は藤津郡嬉野の住、宇禮志野某(後嬉野と改名)白石に移住する時かねて奉齊している御神体を奉載して鎮座した。 社格制定により村社に列せられ天神社と称される。 大正5年宝殿拝殿を新築し同時に2社を合併し、六角神社と改称し更に6年にかけて村内の無格社23社を合祀し、 村人の崇敬心を増して今日に至っている。

文治3年(1187)に始めて天満宮を齊祀したといい伝えられてから実に810餘年の星霜をへている。

(この史蹟は黒木教善氏の研究調査と、大串正八氏の神社庁への登記文を資料にしたものである。)

平成10年6月吉日 宮司 中村正次郎
総代会長 溝口 廣海

西側を南北に通る道は長崎街道である。

ひとくちメモ

六角神社は長崎街道より100mほど東側に鎮座している。 境内には、樹齢400年の大楠・観音堂・梵字が刻まれている板碑などがみられる。

表参道口は長崎本線のすぐ脇である。この場所は六角小学校の東北隅裏手にあたる。 ここでは肥前鳥居がみられる。

写真

  • 神殿
    神殿 
  • 観音像 - 観音堂内
    観音像 - 観音堂内 
  • 板碑(梵字が刻まれている)
    板碑(梵字が刻まれている) 
  • 本殿裏手の多数の石祠・石塔群
    本殿裏手の多数の石祠・石塔群 

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