heritage 拈華庵(ねんげあん) 仏教礼拝所 伊藤氏参拝済

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〒849-0504 佐賀県杵島郡江北町八町   標高:2.7m 地図 GMAP
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歴史

伊藤氏メモ以下は、庵内に掲げられた由緒書の要旨である。

栄西禅師は、建久2年(1191)印度(宋)での修行を終え帰朝の際、栴檀(せんだん)の木を持ち帰り天皇に献上した。天皇は、その栴檀の木を東大寺の宝物として奉納した。

栄西没後300年の遠忌にあたり、栄西の遺言に従い、東大寺宝物となっていた栴檀の木を五体の仏像に刻み、京都の東寺など5か寺に奉納した。

越後の上杉謙信は東寺の本尊を請待したが、その後その本尊は謙信の孫で米沢藩主上杉定勝が引き継いだ。定勝の息女徳姫が剃髪し尼の道に入道した際、徳姫はその本尊を父定勝より引き継いだ。

徳姫と佐賀蓮池藩主鍋島直澄の息女楽姫は従妹にあたり、楽姫が剃髪したときに剃髪の手引きをしたのが徳姫である。

徳姫は、加賀藩第2代藩主前田利常の三男で加賀大聖寺藩7万石初代藩主前田利治に嫁いだが、6年で未亡人となり剃髪したのである。また、楽姫は、島原藩主松平好房に14歳で嫁いだが、16歳で未亡人となり剃髪したのである(剃髪後、昭圭禅尼と号した)。

徳姫は、楽姫の父・鍋島直澄と夫・松平好房の菩提を弔うため、父定勝より引き継いだ本尊を楽姫へ贈った。楽姫は、佐賀蓮池藩地領の塩田五町田にある父・直澄の隠居地(光桂寺)に住み、その本尊を信奉して暮らしていた。

元禄15年(1702)楽姫が亡くなったので、楽姫に仕えていた3人のお側女中は、故郷蓮池の地に本尊とともに帰る塩田の地よりの帰路の途中で激しい大雨にあい、当地八丁村東郷袋に宿をとった。

そのとき東郷袋の住民たちが、これもなにかの縁と思われるのでこのまま本尊を当地に譲っていただけないかとお側女中たちに相談した。お側女中たちは、本尊と蓮池藩主に伺いをたてたところ、村中一同の篤き信仰心に請待するということあればこの地に留まってもよろしいとのおつげがあった。

以後、八町住民や参詣者の守本尊としてこの地で奉祀することとなった。地元民はこの請待のあった6月18日を起源祭とし法要を続けている。()

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。

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