遍照山
光明寺
浄土宗
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ以下は、『白石町史』による。
天正2年(1574)龍造寺隆信は平井氏を高城に攻めてこれを陥落したが、この戦いで多くの戦死者が出た。 その頃、法誉は鍋島直茂(後の佐賀藩藩祖)の帰依を受け肥前に住していたが、この戦死者の慰霊のため、敵味方の隔てなく7日間にわたり百万遍法会を行った。法誉はこのようにして戦乱で荒んだ人心を慰め、多くの民衆の信仰を集めた。
鍋島直茂は帰依ますます篤くなり寺領と毎年の御蔵米を寄進し、戦死者慰霊法要を行った地に天正3年(1575)一堂を建立し光明寺と名付け法誉を開山とした。後には法誉のため隠居所として敷地を寄贈し法蔵寺(現在廃寺)を建てた。このような因縁により、光明寺は鍋島藩の紋章を用いた。()
地名(所在地)の「馬洗」は「もうらい」と読む。
ひとくちメモ
伊藤氏メモ四脚門の上部の内側は、茶色地に白い模様書きがあり、鮮やかな青色で山号が記された扁額が掛かっている。本堂右前には、第25世の平成10年(1998)に行われた本堂・山門・屋根瓦改修工事記念の旧本堂瓦が展示されている。当寺東側に須古保育園を併設している。()
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