heritage 日輪山 安福寺(あんぷくじ) [水堂安福寺・水堂さん] 天台宗 ★★☆ 伊藤氏参拝済

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〒849-1104 佐賀県杵島郡白石町大字堤3144   標高:69.9m 地図 GMAP 0952-84-3033  ホームページ
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歴史

伊藤氏メモ山裾に位置するのはこの本坊・霊殿・合祀墓のある寺域である。 また、その西側に登った所に安福寺観音堂(水堂さん)がある。観音堂(水堂さん)・薬師堂(九州四十九院薬師霊場第38番札所)のある寺域である。()

伊藤氏メモ我が国三大歌垣山(うたがきやま)[1]として有名な杵島山の中腹、法弓山に安福寺がある。俗に「水堂さん」という。

寺伝によると、聖武天皇の代(724-749)、一人の猟師が白鹿を射ったところ、白鹿はたちまち金色の光を放って消え、あとに石の観音菩薩像があり、矢はその腹に刺さっていた。これを見た猟師は、多年の殺生を悔いて出家、庵を結び、法弓と号して修行三昧に暮らしたという。

『当山霊水略縁起』によると、高倉天皇が病を患ったとき、霊夢に「肥前国日輪山中に湧く霊水を服せば、病はたちまち治る」と告げられた。そこで帝は、杵島の領主平重盛に命じて霊水を求め服して病は平癒した。依って、七堂伽藍に六十六坊を建立、大いに栄えたという。 一方、『肥前古跡縁起』には、平重盛の夢に観音菩薩が現れて、「霊水を灌頂すると、現世においては諸々の災難を免れ、後世は成道の本懐を得られる」と告げた。そこで、重盛が七堂伽藍を建立したと伝う。

白石地方は、平家が全盛の頃は平清盛が所領していたが、文治3年(1187)日向五郎通益が地頭となり、ついで平井氏の統治下となった。天正2年(1574)、平井氏が龍造寺隆信に敗れて終焉。 龍造寺氏が須古邑主鍋島家の祖となるが、この戦で安福寺の伽藍は炎上。 宝永4年(1707)鍋島茂明の外護により再建したが、昭和23年(1948)本堂・庫裏を焼失。昭和32年(1957)に再建し現在に至る。

さらに縁起には、僧法弓が修行のとき、毎年旧暦4月15日寅上刻から7月15日未刻まで、観音像の腹部から霊水が湧き出たとある。 (『九州四十九院薬師巡礼 』より)()

ひとくちメモ

安福寺は犬山岳の東の杵島山の中腹に伽藍を構えている。 麓は広大な田園地帯となっている。 寺に付属する西側の安福寺観音堂は地元の方々には「水堂さん」の名で親しまれている。

写真

  • 山門 - 水堂さんへの石段より撮影
    山門 - 水堂さんへの石段より撮影 
  • 六角堂跡
    六角堂跡 
  • 山門
    山門 
  • 参道
    参道 
  • 本堂裏手の池
    本堂裏手の池 
  • 遠景
    遠景 

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脚注