bukki 永渓山 泰智寺(たいちじ) [泰智禅寺] 曹洞宗 ★☆☆ 十六羅漢像 歴代鹿島藩主の墓

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〒849-1322 佐賀県鹿島市浜町野畠甲4242   標高:9.3m MAP GMAP 0954-62-3922  ホームページ
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

泰智寺由緒

當寺は「永渓山 泰智寺」と称し、本尊を釈迦如来とし脇侍文殊菩薩・普賢菩薩を置く曹洞宗の古刹である。 創立起源は北鹿島常広に建立された「深立寺」であるが、元和8年1622鹿島藩初代鍋島忠茂公によって現在地に移されたものである。

当初は忠茂公の正室の戒名に因み「祇園山 隆心寺」を寺名としたが2代正茂公により寛永年間1624-1645に前記のように山号寺号が改められて現在に至っている。 古記録には、その後間もなく慶安3年1650の浜町の大火により堂宇すべて焼失したと伝えられている。 山門のみ残ったという風説があったが事実ではない。

その後、寛保2年1742本堂が再建され、それと前後して山門・回廊も再建されたようである。 しかし、山門も本堂も永い年月を経ているため痛みがすすみ、両者とも2度の大修理を経ている。

山門は原型を保っているが、本堂は平成12年2000に浄財により瓦葺きとするとともに内外に必要な営繕を行い、これにより全体の景観は大きく変容した。 当寺は3代直朝公により古枝久保山に建てられた普明寺とともに、鹿島藩歴代藩主の御霊を祭っており、その菩提寺として昭和に至るまで手厚く処遇されてきた。『鹿島藩日記』には「御両寺」(普明寺・泰智寺の意)という語が散見されるが、この事実をもの語るものである。

ホームページには初期の鹿島藩主の歴史がわかりやすく記載されている。

当寺の本堂には十六羅漢像が安置されている。明和年間1764-1772に在京の仏師・大和屋清兵衛の工房で造られたものと推定される。高さ60cm程度。願主は14世心岩釣月和尚と思われる。木像のようだ。昭和61年1986、開山の在室珠巖和尚の頂像と共に鹿島市指定重要文化財に指定された(門前の案内板より)。

当寺建立前にはこの地には原山松岡院 知恩寺が伽藍を構えていたようである。

ひとくちメモ

境内へはこの先浜川と合流する川に架けられた石橋を渡って入る。 楼門は円形の窓と白壁のデザイン。格調高い造りとなっている。 楼門両脇は回廊となっており、向かって左手の回廊の突き当りには多数の石仏が鎮座している。 本堂に向かって左手奥の高台には初代藩主忠茂はじめ、鹿島藩ゆかりの名のある方々のものと思しき墓碑が立ち並んでいる。

門前の道をまっすぐ北に向かって進み、浜川に架けられた橋を渡ると肥前浜宿の中心部にたどり着く。 当寺参拝の折にはここも見どころ多数の所であるのでお見逃し無く。

写真

  • 楼門の山号額
    楼門の山号額 
  • 本堂 - 本堂に向かって左手の墓地内より撮影
    本堂 - 本堂に向かって左手の墓地内より撮影 
  • 門柱
    門柱 
  • 境内風景(右手の大木はマキと思われる) - 本堂を背にして撮影
    境内風景(右手の大木はマキと思われる) - 本堂を背にして撮影 
  • 庫裡
    庫裡 
  • 六地蔵塔他の石仏 - 本堂に向かって左手
    六地蔵塔他の石仏 - 本堂に向かって左手 
  • 御霊屋(忠茂公の墓碑が安置されているものと思われる) - 本堂に向かって左手の墓地内
    御霊屋(忠茂公の墓碑が安置されているものと思われる) - 本堂に向かって左手の墓地内 
  • 名のある方々のものと思しき墓碑群 - 本堂に向かって左手の墓地内
    名のある方々のものと思しき墓碑群 - 本堂に向かって左手の墓地内 
  • 名のある方々のものと思しき墓碑群 - 本堂に向かって左手の墓地内
    名のある方々のものと思しき墓碑群 - 本堂に向かって左手の墓地内 
  • 楼門の乳金具
    楼門の乳金具 
  • 楼門の回廊内の石仏群
    楼門の回廊内の石仏群 
  • 楼門の回廊内の石仏群(拡大)
    楼門の回廊内の石仏群(拡大) 
  • 門前の風景 - 楼門を背にして撮影
    門前の風景 - 楼門を背にして撮影 
  • 門前の川
    門前の川 
  • 喚鐘
    喚鐘 

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