観彼山
寶圓寺
[宝円寺]
浄土真宗本願寺派
歴史
伊藤氏メモJR肥前浜駅から国道207号線を太良方面に行くと、浜川にかかる浜橋に至る。 この橋の下流にあるのが浜大橋で、この橋を挟んで舟津の集落がある。 舟津は、早くから有明海沿岸を結ぶ交通の要衝であった。 この浜大橋の傍らの寶圓寺の石碑によれば、寛永14年(1637)の島原の乱に際しては、沿岸漁船を借り集め、この津から鹿島勢1113人が出陣したと伝えている。(『佐賀県の歴史散歩』より)()
長崎街道 浜宿の高札場跡に案内板があり、寶圓寺は元はこの地に伽藍を構えていたという。 その地は現在は肥前浜宿まちなみ駐車場となっている。 「創建以来326年目に浜川改修工事の為移転」とあるから、1965年頃(=1639+326)、現在の地に移転したようだ。
島原の乱で大役を果たした山田五郎佐衛門俊友(伊勢の国の人)が、寛永16年(1639)、乱の平定後に恩賞の望みについて問われた際、人々の気風が荒く、寺院を建立して気風を和らげたいと申し出て、時の藩主(3代鍋島直朝)より寺地を賜った事がこの寺の始まり。寛文元年(1661)6月9日、本山から木仏・寺号を賜ったという。現14世。(記)
ひとくちメモ
未稿。
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