光明山
源昌寺
浄土宗
享保の大飢饉
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- 〒849-1314 佐賀県鹿島市山浦甲1041 標高:27.4m 地図 GMAP 0954-62-5924 ホームページ
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歴史
九誉(慶長3年(1598)没)が、初め領内の深木村(現在の末光)に寺を建て専称寺と号した。 後に現在の地に移り、元和年間(1615-1624)に現在の寺号、源昌寺に改めた。 深江氏(元、安冨氏)の菩提寺。
九誉は長崎県南島原市深江町にあった専称寺の住職。天正12年(1584)、龍造寺隆信が島原で島津氏・有馬氏の連合軍に敗れると、有馬氏と敵対していた安冨氏は、深江城を捨てて藤津郡へ逃れた。九誉も安冨一族と共に逃れて来た。 安冨家当主の安冨純泰は鍋島直茂・信房のはからいで、隆信の息子の龍造寺政家深木村に新地30町を与えられ、これが縁で、江戸時代以降も山浦と本城の一部を領有することとなった。なお、安冨氏は純泰の孫の昌武の代に姓を深江と改めた。
境内には享保18年(1733)銘の「三界万霊六道四生道」と記された享保の大飢饉での餓死者の供養塔がある。 領内で老若男女約180人の餓死者が出た。(以上、ホームページより)
ひとくちメモ
未参拝の為未稿。
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