heritage 安住山 昌善寺(しょうぜんじ) 日蓮宗 ☆☆☆

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〒847-0102 佐賀県唐津市八幡町637   標高:20.9m 地図 GMAP 0955-72-4029 
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歴史

永享8年(1436)8月8日、佐賀県諸富町北村為重(ママ)[1]にて創建。檀越・久保六良助、開山・久遠成院日親。昭和9年(1934)12月18日に現在地に移転。現在に至る。(Links①より)

平成24年(2012)第27世の入寺式が挙行された。(Links②より)

当寺の北側の山中には浜田城址がある。当寺との関連は無いと思われる。

ひとくちメモ

昌善寺は高台にある。入口は南・北両側にある。 南側からは長い一直線の石段を登って境内に入る。こちらが表参道と思われる。

両サイドにカイヅカの大木が植えられた本堂の前には浄行菩薩仏堂がみられる。 南側の石段を登った所には八重桜が植えられている。

境内からは橋本町の町並を見下ろすことができる。

写真

  • 境内風景(この先に南側の石段がある) - 本堂を背にして撮影
    境内風景(この先に南側の石段がある) - 本堂を背にして撮影 
  • 南側の石段(かなりきつそう)
    南側の石段(かなりきつそう) 
  • 北側の山門
    北側の山門 
  • 浄行菩薩 - 本堂前
    浄行菩薩 - 本堂前 
  • 仏堂 - 本堂前
    仏堂 - 本堂前 
  • 八重桜
    八重桜 
  • 境内から眺める橋本町の町並(西側の風景)
    境内から眺める橋本町の町並(西側の風景) 
  • 喚鐘
    喚鐘 

浜田城址

浜田城址の案内板
浜田城址の案内板 

中世前期、浜田城は源調(みなもとのしらべ)を祖とする佐志氏の居城であった。

佐志氏は源平の戦いで源氏方に組みしたので、頼朝から所領を安堵されたと同時に松浦の荘の地頭職に補任され御家人となった。 文永11年(1274)、元の来襲で戦死した、佐志(ふさ)(なおし)など代々佐志氏が居城としていた。(案内板より)

戦国時代に、波多氏が勢力を持ってきてからはその地位を波多氏に譲っている。波多三河守の重臣であった左志将鑑は三河守とともに没落の運命をたどり、浜田城は廃城となった。(Links③ より)


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周辺のスポット(4km以内)

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脚注