bukki 一行山光明院 專稱寺(せんしょうじ) [専称寺] 浄土宗 ☆☆☆

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〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋687   標高:38.8m MAP GMAP 0955-82-1650 
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歴史

『鎮西町史』(昭和37年)に掲載されている内容を下に引用する(本来、要約を掲載すべきであるが、誤解を恐れて...)。

浄土宗本派一行山専称寺(鎮西町 名護屋)

  • 総本山 京都市東山区林下町知恩院
  • 開創 天正2(甲)(戌)(1574)
  • 本尊 阿弥陀如来 大勢至菩薩と教主釈迦牟尼仏 高祖善導大師 宗祖法然上人を安置
  • 開山 真誉泰山上人

由緒 真誉泰山上人は常陸に生まれ、鎌倉光明寺6世智誉上人の弟子、天正の頃は京都知恩院にいたが、 領主寺沢三河守広直[1]の請いにより、この寺を開山。 文禄2(巳)(巳)(1593)太閤秀吉征韓の出陣の時、寺沢越中守広正の嫡子 志摩守広高は従軍、名古屋城[2]固めの留守部隊に止まっていたが、 神田村字山口(現唐津市神田字山口)にあった寺を名古屋[2]に移した。 越中守在陣中に死去したので遺骨を、この寺に埋葬した。 慶長4年(1599)志摩守唐津城主となり、唐津弓鷹町に浄泰寺を建立移転したので、 寺跡を改め専称寺と号するに至る。 この時、元陣場にあって火災の難を受け、現在地に移転再建したというが、当時の建物、坪数、年号ともに不詳、過去名簿が承応2(癸)(巳)(1653)より残っているので、それ以前の事と推察できる。

のち中興の第5世然誉上人が7間四方の堂を建立したが、天保より明治初年までの間に、 殆ど壊れたので、 第26世動誉上人が檀家や信徒の協力を求め54坪の本堂、庫裡を再建した。 昭和6年秋、第27世実誉上人が現在の庫裡を新築、昭和28年、現在の聴誉上人が、檀家、信徒の寄付により本堂を完成した。

現住職 第28世聴誉上人斉藤篤真氏

右の「名護屋城陣之図」中に「専称寺」が、ほぼ現在の位置と思われる所にあるように描かれている(その北隣は家康の陣)。

ひとくちメモ

寺は坂の途中にある。 本堂はかなりの年歴を経たもののようである。 境内には多数の石仏・石塔がみられる。

寺の遠景を撮影する為、門前の道の向い側の丘に登る。 何やら、林の中に登って行く道を発見。 物好きの作者は興味深々で登ってみた。 実は当寺参拝前に唐津市街地にある安楽寺の前身、端坊(はたのぼう)の遺構がある場所がこの辺りではないかと当りをつけていた。ひょとしてここではないか?との下心もあった。 草で覆われた道を登ると平坦面があり、そこには多数の石塔・石仏がある。 地蔵菩薩像が多い。 と、云うことは真宗寺院の遺構では無さそうである。 ここは専称寺附属のものかも知れない。 (場所はこちら、 写真はこちら。)

写真

  • 石段
    石段 
  • 石塔石仏群
    石塔石仏群 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 本堂屋根の家紋
    本堂屋根の家紋 
  • 石段脇の石塔
    石段脇の石塔 
  • 門前の風景(左手が専称寺。道はこの先急な下り坂となる。車は通れません)
    門前の風景(左手が専称寺。道はこの先急な下り坂となる。車は通れません) 

門前の向い側の丘の石仏石塔群

  • 遠景
    遠景 
  • 石塔石仏群
    石塔石仏群 
  • 石塔石仏群
    石塔石仏群 
  • 石塔石仏群
    石塔石仏群 
  • 石塔石仏群
    石塔石仏群 
  • 丘の上から眺める専称寺(写真中央)
    丘の上から眺める専称寺(写真中央) 

脚注

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)

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