光明山遍照院
西念寺
浄土宗
★☆☆
呼子三神社
- 住所・電話
- 〒847-0303 佐賀県唐津市呼子町呼子1987 標高:16.8m 地図 GMAP 0955-82-3417
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歴史
天正12年(1584)当地より離れた丘の上の地に開基された。開山は實蓮社眞譽上人。 呼子港が捕鯨や避難港として発展したことに伴い、宝暦年(1751-1764)中、中興辨譽上人が現在地に移転した。 安政3年(1856)町の大火に巻き込まれ伽藍を焼失。 16世性譽上人により復興を果たし、文久3年(1863)に現在の本堂の姿となった。 本尊阿弥陀如来は春日仏師の作といわれている。
慶應4年(1868)(性譽上人代)、総本山知恩院宮門跡大光明院宮尊超法親王[1]の位牌安置の由緒寺院の格式を得る。 同時に綸旨を受け、菊の御紋使用許可を得る。(境内の案内板より)
ひとくちメモ
寺は呼子港の町のほぼ中心部の石垣の上にある。 石段を登って境内に入る。山門・本堂・庫裡とも近年建て替えられたもののようで真新しい。 山門の両脇には石塔・石仏群がみられる。
境内からは呼子港の海が垣間見る。門前の道は「大綱引通り」。 昔ながらの町並みがみられる。 門前から100mほど南側には呼子三神社が鎮座している。 毎年、当社の門前が中心点となって呼子の大綱引が行われる。
写真
本堂(手前の石塔は慶安2年己丑(1649)銘) 山門 - 本堂を背にして撮影 山門脇の石仏群 鐘楼 山門の山号額 山門脇の石塔・石仏群 参道 - 山門を背にして撮影 本堂の屋根瓦(菊の御紋(右)があしらわれている) 本堂前の梅 山門の装飾 石段 梵鐘 門前の紹介の看板(「肥前国呼子港 大綱引通り」) 門前の風景(右手が西念寺) 門前の商家 庫裡(かなりの規模。手前が駐車場。) 全景 呼子大橋
呼子三神社
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祭神は天忍穗耳尊(阿弥陀如来垂迹)・ 伊弉諾尊(釈迦垂迹)・ 伊弉冉尊(千手観音垂迹)。
福岡県・大分県にまたがる彦山大権現より勧請して建立され、「呼子三所大権現」と称されていた。 彦山修験道の分派として「呼子山妙泉坊」とも称された。
本殿の裏には山岳信仰の名残として陰陽石が祀られている。(以上 門前の案内板より)
上のように神と本地仏を併記された案内板は作者は初見である。 昔はどのお宮も、このように神仏併記されて祀られていたのだろうが。。。 残念ながら明治以降、両者の関係は一旦、断ち切られた。
呼子の大綱引
第1土曜日(子供綱)、日曜日(大人綱)の2日間にわたって行なわれる。
町民を岡組と浜組に二分し、老若男女が直径15cm、長さ400mの大綱を、ドラと火矢の合図で引き合い、岡組が勝った年は豊作、浜組が勝った年は大漁と伝えられる。
「文禄・慶長の役」の時(1593-1597)、名護屋城に陣を構えていた秀吉が、将兵の士気を高めるために、加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船の綱を用いて引かせたことから始まった伝統的な祭り。元はは旧端午の節句に行なわれていた。(以上 境内の案内板より)
国指定重要無形民俗文化財。
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