仏旗 海門山 龍泉寺(りゅうせんじ) [龍泉禅寺] 曹洞宗  RYUUSENJI ZEN TEMPLE

  • 本堂
    本堂 
  • 名護屋城陣之図(城下町部分・右=北 名古屋城博物館蔵)(図右上に法光寺、ほぼ中央下に専称寺・龍泉寺が描かれている(赤丸にて表示)) - 『2016-12-10肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城』より引用
    名護屋城陣之図(城下町部分・右=北 名古屋城博物館蔵)(図右上に法光寺、ほぼ中央下に専称寺・龍泉寺が描かれている(赤丸にて表示)) - 『2016-12-10肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城』より引用 
  • 名護屋浦の街並(先に名護屋浦、その先に呼子の街並みが見える)
    名護屋浦の街並(先に名護屋浦、その先に呼子の街並みが見える) 
住所・電話
〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋743 標高:35.9m MAP GMAP 0955-82-2860
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歴史

『鎮西町史』によれば、以下の通りである。

天文年中1532-1554の創建。 場所は竹の丸。

文禄元年1592、徳川家康がこの地に陣を構築するため、台地を8間下げて移る。 この時の開基は江戸大納言徳川家康。開山は麟恕大和尚。 海門山龍源寺と号した。

秀吉が名護屋退陣の際[1]、忠山和尚に同行を求めたがこれを辞退。 秀吉は寺澤志摩守に「老僧を丁重に取扱うよう」指示。 志摩守が舞鶴城(唐津城)を築いた時1602-1608、寺を建立、忠山和尚[2]を唐津に請じるとともに龍源寺の寺号も移転する(唐津市東十人町法雲山龍源寺の起源)。

この地に残った寺は家康の御詠歌「湧き出る龍の泉の寺の岩汲めどもつきぬ千代八千代をも」にちなみ「龍泉寺」と改称された。 堂後の庭園・泉水は曽呂利新左衛門が造ったもの。 寺内に脇坂安治の鎧、加藤清正が朝鮮より持ち帰った十六羅漢像などがあるという。

右の「名護屋城陣之図」中に「龍泉寺」が、ほぼ現在の位置と思われる所にあるように描かれている(その隣は家康の陣)。

ひとくちメモ

專稱寺の門前より50mほど坂を下ると参道口である。 参道の途中に大きな常夜灯がある。 この常夜灯は昔は夜間航行する船の目印になっていたものと思われる。 このあたりから眺める名護屋浦の景色は絶景である。 参道の途中には石仏群もある。

本堂はこの地区一番の規模である。 本堂に向って左手は庭園となっており、サザンカと思しき花が満開であった。

作者は專稱寺側から寺に向ったが、寺へのルートは地図でみると他に2つあるようである。 徳川家康陣跡の脇からのコースと、北側のコースである。 家康陣からのコースはどうやら車で行けるようである(境内に工事車両が駐車していた)。

家康の陣は何度か見学に行き写真撮影もしたはずであるが、写真は紛失。残念無念。

当寺の参拝にて名護屋城周辺のお寺の参拝は全て完了したはずである(漏れていたらすみません)。 この周辺は、町中の道端の至る所に名護屋の陣の遺構(戦国末期の名だたる武将達の陣跡・石垣・古井戸・お寺・石塔・石仏など)が分布している。 散策していても飽きない場所である。坂の登り降りの疲れを忘れるほどである。 特に、この龍泉寺と観音寺あたりは名護屋浦の景色も見れ、海風に吹かれながらの散策には絶好の領域である。(記)

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 境内の石塔・石仏群
    境内の石塔・石仏群 
  • サザンカ(と思われる) - 本堂に向って左手の庭園内
    サザンカ(と思われる) - 本堂に向って左手の庭園内 
  • 本堂
    本堂 
  • 参道途中の石仏群
    参道途中の石仏群 
  • 参道脇の常夜灯
    参道脇の常夜灯 
  • 門柱
    門柱 
  • 参道口(左手の石塔に「不許葷酒入山門」)
    参道口(左手の石塔に「不許葷酒入山門」) 
  • 門前の風景(左手が龍泉寺。この坂を下れば名護屋港)
    門前の風景(左手が龍泉寺。この坂を下れば名護屋港) 


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