黒崎神社
[黒崎権現]
神仏習合
★☆☆
砥川石工
シャクナゲ
歴史
創建の由来は南北朝時代(1337-1392)に遡り、英彦山から訪れた修験者が坊を開いて権現を祀ったことから始まるとされる。 江戸時代は神仏混肴により、仏教的色彩が強くなったと考えられるが、明治政府の廃仏毀釈により神道が強調され、現社号「黒崎神社」と呼ばれるようになった。(参道口の案内板より)
境内に聖観音菩薩立像・ 地蔵菩薩立像・如意輪観音坐像が祀られている。 聖観音菩薩・地蔵菩薩の両尊像の台座正面に「龍寶山黒崎坊 貞享四丁卯□(1687) 浄光院敬白」、右側面に「佐賀領戸川村 十一月吉祥日 平川与四右衛門 作之」の銘がある。(Links① より)(詳しくは当ページ下部の三尊像の項をご覧ください。)
ここで、「平川与四右衛門」とは砥川石工の棟梁である。 「龍寶山黒崎坊」「浄光院」とは当社の別当寺院名と僧侶の名ではなかろうか?
ひとくちメモ
黒崎神社は黒崎山(標高89.0m)の南側中腹に鎮座している。
参道口から社殿のある平坦面まで一直線の石段。段数は作者が数えて107段。 初秋(2022-10-20)の参拝でも一汗をかく。108段の数え間違いかも知れない。
境内には拝殿・社殿・他所から合社された神社の社、それと上の3尊像が祀られている。
シャクナゲの株も多数みられる。 境内からは唐房港・町並が木々の間から垣間見える。
石段は一直線で登っているが、それを縫うように緩やかな坂道も用意されています。 但し、車などは通れないので、ご注意。
写真
神殿 一の鳥居の束額(黒崎神社) 他所から合社された神社(金比羅・八坂・秋葉。近くに鎮座していた神社だろう) - 社殿に向って右手 えびす像(立像。作者初見) - 合社された神社前の石塔(「三社合社改築寄付者名」)の上 境内風景 - 拝殿を背にして撮影 大住稲荷命神 - 一の鳥居脇 石段(前方に見えるのはニの鳥居) 境内から垣間見える唐房の町並 境内から垣間見える唐房漁港 門前の風景(右手が黒崎神社) 遠景(黒崎神社の社殿は赤丸の地点 - 唐房漁港より撮影) 超遠景 - 西側の山上より撮影
三尊像
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これらの尊像は石段を登りきった所の右手奥に祀られている。 それぞれの尊像の台座の銘は下記の通り。
- 聖観音菩薩立像台座の銘
- 正面「(前略)白山権現 奉□興観音菩薩 御本地(後略)」、左側面「龍寶山黒崎坊 貞享四丁卯□ 浄光院敬白」、右側面「佐賀領戸川村 十一月吉祥日 平川与四右衛門 作之」(Links① より)
- 地蔵菩薩立像台座の銘
- 正面「(前略)北山権現 奉□興地蔵菩薩 御本地(後略)」、左側面「龍寶山黒崎坊 貞享四丁卯□ 浄光院敬白」、右側面「佐賀領戸川村 十一月吉祥日 平川与四右衛門 作之」(Links① より)
- 尊名不詳の石仏台座の銘
- 正面「奉□□□□□□ 御本地 □□□□」(作者目視)
聖観音菩薩立像の尊像部分だけ、他の尊像と見比べて違和感を感じる。 石質・色・劣化度合いも他の2尊像と異なっているように見える。作像から300年ほど経っているとは思えないほど劣化していない。 尊像の形までは素人の作者にはわからないが。。。
以下は、ど素人の作者の推測。 ひょっとしたら、聖観音菩薩立像の尊像は後に造り替えられたものではないだろうか?
また、3尊像とも、この聖観音菩薩立像部分を除いて石質・色・劣化度合いなどは同様に見える。 銘文が判読不能な尊名不詳の石仏も与四右衛門作の可能性はないだろうか?
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