釜山海
高徳寺
真宗大谷派
☆☆☆
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒847-0051 佐賀県唐津市中町1912 標高:3.9m 地図 GMAP 0955-72-4564
- 検索
- 同地区同宗派(8) ( 4km以内 ) 関連ページ(1) MAP 周辺のスポット(14) Links(1)
歴史
伊藤氏メモ織田信長の近従に奥村掃部介と称する武士があった。 信長の死後、本願寺教如上人に帰依し法名を浄信とし、支那布教の雄図を抱き上人に許しを得、 天正13年(1585)まず釜山に渡航した。 釜山に釜山海高徳寺を建立したのが文禄元年(1592)であった。 しかし、同年、文禄の役の勃発によって日本に引き揚げた。 その後何度か寺の位置を変え、現在の唐津に落ち着いたとのことである。 浄信は、慶長6年(1601)以降唐津初代城主寺沢志摩守に請われて唐津に定住した。
山号は、普通は「○○山」であるが、当寺は「釜山海」という珍しい山号になっている。 韓国と縁があり、豊臣秀吉から授かった山号である。
また、明治に入ってからも住職の奥村円心は布教師として朝鮮半島での布教に努めた。 この円心の妹が愛国婦人会(明治34年(1901)創立)の創始者・奥村五百子である。(「高徳寺/HP」・『佐賀県の歴史散歩』より)()
Links① で、高徳寺と端坊(同市内の安楽寺の以前の寺号)との関係について論じている。 慶長の役の折、豊後の小大名、太田一吉に医僧として従軍した豊後臼杵の真宗寺院(安養寺、現臼杵市市浜にあるお寺ではなかろうか?)の僧が当時釜山にあった高徳寺に参拝した時の話しである。 興味の在る方はご覧ください。
伊藤氏メモ本堂前面や鉄筋造納骨堂の外壁にあしらわれた、底辺がやや長い黒色の二等辺三角形を3つ組み合わせた模様は、当寺奥村家の家紋で「北条鱗」と呼ばれるものである。()
ひとくちメモ
寺は賑やかな中町の商店街のほぼ中央付近、脇道に入った所にある。 門前の通りは飲食店が多数。昔の町割りのままの道幅のようでかなり狭い。
鐘楼門は珍しいデザインのコンクリート製。脇には「奥村五百子生誕の地」碑がある。 コンパクトな境内である。
ちなみに当サイトに登録している全てのお寺(現在2205ヶ寺)の中で「海」が付く寺はこの高徳寺のみである。 他に「山」が付かない珍しい山号は下記の4ヶ寺のみである。
写真
門前の風景(道幅は昔のままのようである) 本堂前面にあしらわれた家紋(北条鱗) 「奥村五百子生誕の地」碑 盤水(かなり大きなものである) 境内風景(もろに逆光。すみません。) 奥村五百子の案内板 梵鐘(鐘楼門上部) 喚鐘
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。