清凉山勝巖院
浄泰寺
[えんまでら]
浄土宗
★☆☆
写経
閻魔堂
恵心僧都
えんま祭り
伊藤氏参拝済
太閤道(唐津-名護屋)
- 住所・電話
- 〒847-0814 佐賀県唐津市弓鷹町1494 標高:6.7m 地図 GMAP 0955-72-3335
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歴史
本堂に掲げられた説明書きをそのまま記載する。
浄泰寺
浄土宗、清凉山と号す。 本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作。 400年以上も昔に比叡山から遷座した靈仏である。 当山は唐津初代藩主寺沢志摩守の菩提所として、 天正2年(1574)に開創された。 浄泰寺の寺号は、父の戒名に因んでつけられる。 徳川時代はいわゆる朱印寺で末寺もあったという。 この総﨔本堂は昭和10年の再々建である。
境内の唐津市による案内板によれば、浄泰寺には地獄極楽の絵図(市指定重文、延宝5年(1677)、狩野派絵師宗信作)と、安田作兵衛(明智光秀の重臣)の墓があるという。毎年8月16日には「えんま祭」が開催され、この地獄極楽の絵図と閻魔堂内部が公開されるという。
『鎮西町史』によれば、浄泰寺のルーツは鎮西町名護屋の專稱寺であったようである。詳細は同寺のページをご覧ください。
山門は名護屋城の大門を移築したものという。 門前附近は太閤道(名護屋-唐津)の始点である。
伊藤氏メモ門前の案内板には、次のような記載がある。()
当寺に墓のある安田作兵衛は明智光秀の重臣の一人で、本能寺の変において森蘭丸を斬り伏せて、織田信長に槍をつけるなど、最高の功名を立てた。 その後、流浪の生活を送っていたが、その武勇が初代唐津藩主寺沢志摩守の耳に入り、客分として召し抱えられ、天野源右衛門と改名した。 最期は、唐津の地で没したといわれる。織田信長を刺したといわれる寺宝の槍は、現在唐津城に展示されている。
ひとくちメモ
山門は、さすが名護屋城から移築したものと言われるほどどっしりとした造りである。 扉には、広沢家家紋「陣幕」があしらわれている。 境内には本堂の他、鐘楼、梵字石、古井戸、宝篋印塔などが観られる。 塀の脇には藤の花が咲いていた。()
東門をくぐると正面に矢竹と思われる竹の生垣がある。 黄金色の茎である。珍しいものである。
伊藤氏メモ境内の閻魔堂では鍵の掛かったガラス戸越しに、閻魔大王・赤鬼・青鬼・奪衣婆の像を見ることができる。案内板には次のような記載がある。()
この閻魔堂は、明治中期まで西十人町にあった。 現在の御堂は、この位置にあった古舘家経堂を補修し、赤鬼・青鬼なども一緒に祀っている。 えんま像は小野篁の作と伝えられ、傑作だといわれている。
伊藤氏メモ山門を入ると本堂正面に十数個の鉢があり、蓮がいけられている。 山門には「蓮の庭 自由にご覧ください」「見頃は午前中です」という看板が掛けられている。 ()
写真
山門 全景 本堂の扁額 鐘楼 閻魔堂 閻魔堂の扁額 閻魔堂内 盤水(寛政2年銘) 古井戸 古井戸 梵字石 山門 - 本堂を背にして撮影 山門(部分) 山門の乳金具 山門の寺沢家の家紋「陣幕」 東門 矢竹(拡大) 矢竹 庫裏 門前の風景 梵鐘
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