感應山
法光寺
[法光禅寺]
臨済宗南禅寺派
★☆☆
砥川石工
太閤お手植え桜
- 住所・電話
- 〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋4092 標高:56.8m 地図 GMAP 0955-82-1527
- イベント情報(今日から2ヶ月間)
- ○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
-
日時 内容 備考 2023-04-08(土)
(10:00〜12:00)太閤桜祭り 秀吉お手植えの八重桜である。 - 検索
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歴史
寺で頂いた「法光寺の由来」によれば、永禄年中(1558-1570)の建立。 開山は大室元豊大和尚。 開基は第19代名護屋豊後守藤原経勝。 本尊は延命地蔵菩薩。 当初は名護屋城大手門の南側の法光山[1]にあった。
文禄・慶長の役(1592-1598)の折、秀吉より「これから戦に行くのに街道[2]沿いに寺があっては不吉」との一言で現在の地(城の北側)に移された。 法光寺は、承応年間(1652-1654)、天明5年(1785)、大正3年に火災に遭い、現在の建物は昭和56年の建立。
その際、秀吉より「詫びの気持ち」として、馬2頭米50石を拝領。 家臣の曽呂利新左衛門に命じ庭園を造らせ、伊達正宗に命じ、塩釜より2本の桜の木を持参させ、秀吉自ら植えたという。 そのうち1本は昭和40年代に枯れ、2世の木、8本が育っている。 残っている木は、佐賀県の名木に指定されている。種類は八重桜(塩釜桜)だという(通称「太閤お手植えの桜」)。 毎年4月8日は降誕会法要(午前6時より)と併せて「太閤桜祭り」(午前10時より)が開催されるという。
この地に移転当時、法光寺では秀吉・家康・伊達正宗・黒田官兵衛他全国の諸大名による軍議が行われたという。 裏庭付近からは、朝鮮に出兵する、第1陣(小西行長)・第2陣(加藤清正)・第3陣(黒田長政)達の船が見送られたという。
本堂前には地蔵堂があり、安置されている「延命地蔵菩薩」は元禄8年(1695)砥川石工、平川与四衛門の作という(地蔵堂に設置されている案内板より)。
ひとくちメモ
境内に入るとすぐ左手に、「太閤お手植えの桜」、右手に「太閤お手植えの桜二代目」が植えられている。 本堂前には地蔵堂がある。堂内には中央に砥川石工・平川与四衛門の作の延命地蔵尊、向って左手には観世音菩薩像、右手に釈迦如来像などが安置されている。 本堂に向って左手前には曽呂利新左衛門の手によるという庭がある。 あいにく冬枯れの時期で植物の緑は見れなかった。 境内からは、名護屋城の天守台が木々の間から垣間見える。
境内で写真撮影をしていると、和尚が出てこられお寺の歴史が書かれたパンフレットをいただけた。 さらに、座敷に上げて頂き、朝鮮に出兵する軍勢を載せた船を見送ったとされる裏庭からの景色も見せて頂いた。 竹林の先に呼子湾(と思われる)の景色が垣間見える。絶景である。 おまけに、帰り際に栄養ドリンクを頂戴した。感謝感謝である。
実は、法光寺へは、参拝すべく現地に行ったものの場所がわからず断念した。 このたび()、めでたくお寺にたどり着き初参拝ができた。 (お寺の周辺は細い道が入り組んでいるが、地図(GoogleMap)に示した場所が正確なのは確認済。) 「太閤お手植えの桜」が咲く4月にまたお参りに行こうと思う。
写真
本堂の扁額 地蔵堂 延命地蔵尊(地蔵堂内) 太閤お手植えの桜(幹部、巨大である) 太閤お手植えの桜(二代目) 境内から垣間見える名護屋城の天守台(写真中央) 曽呂利新左衛門作の庭 旗竿石 本堂 綾部和尚 門前の風景(向って右手が法光寺)
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