殿源寺跡
[殿原寺・川上神社]
真言宗
☆☆☆
川上神社
夜泣き封じ
歴史
『浜玉町史』 によれば、以下の通りである。
本尊は聖観音(別称:根木観音)。平原字座主にある。 『松浦古事記』『松浦記集記』に平安前期〜千石末期まで隆盛を極めたと記されている。 現在の川上神社附近で、字花峰の丘陵中腹にそれらしい場所があるが現在は畑となっている。
伝説によれば欽明天皇時代(539-571)、大伴狭手彦が新羅より帰朝の途次、佐用姫の死を知り、 共に唐土より来朝した沙門曇恵に姫の菩提の為にこの寺を建立させた。 曇恵は聖観音を安置した。これを「根木観音」という。
後に鏡神社の座主松浦大僧正の政所坊として七堂伽藍が建ち並んだという。 松浦庄が空海が開いた東寺領となると、馬頭観音像・准胝観音像・千手観音像・十一面観音像・ 如意輪観音像を安置して真言宗の聖地となる。
貞応元年(1222)、鏡の宮の神宮寺僧との殿原寺の座主職の奪い合いの紛争もあった。 (鏡の宮方の敗訴)
戦国期、黒髪山(杵島郡山内村)に修験道が興ると、殿原寺の勢力は次第に衰え、 天正2年(1574)の平原合戦の時、 龍造寺隆信が草野鎮永を攻めて殿原寺は本堂を残して焼失。 焼失をのがれた扁額と仏像が残る。
文禄3年(1594)、秀吉が波多氏を滅ぼすに及び廃寺となる。 江戸期にはこの地は天領となり殿原寺は再興されたと思われる。 元禄13年(1700)銘の鰐口や准胝観音像修理の胎内入木札がそれを示すという。
観音堂脇の案内板によれば、この根木観音は50年に一回のご開帳。 安産・縁結・子供の夜泣き封じのご利益があるという。
ひとくちメモ
川上神社は平原の小集落の中にひっそりと鎮座している。 小高い山々に囲まれた場所である。 観音堂は、鳥居をくぐり拝殿に向って左手に建っている。 観音堂内には、「根木観音」が安置されていると思われる扉を閉ざされた厨子の両脇に5体が安置されている。 5体共保存状態は良い。 観音堂前には多数の石仏・石塔がみられる。
地名「浜玉町平原」は「はまたままち ひらばる」と読む。
写真
川上神社
本殿に向って左手のクスノキの大木はすごい。一見の価値あります。 (クスノキの写真を撮りそこねました。残念。)
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