仏旗 浄土山貞松院 安養寺(あんようじ) 浄土宗  ANYOUJI TEMPLE 唐津城 虹の松原 千仏院津守観音ミイラ

  • 本堂
    本堂 
  • 唐津城下町繪圖(部分、江戸末期、写真中央の丸印内に安養寺・宝昌寺、右下の赤丸内に千人塚が描かれている) - 唐津城前の陶板製の案内板より引用
    唐津城下町繪圖(部分、江戸末期、写真中央の丸印内に安養寺・宝昌寺、右下の赤丸内に千人塚が描かれている) - 唐津城前の陶板製の案内板より引用 
  • 虹の松原
    虹の松原 
住所・電話
〒847-0017 佐賀県唐津市東唐津2丁目8-23 標高:8.2m MAP GMAP 0955-72-5327 
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同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

安養寺

浄土宗 知恩院派 天正12年1584 宝誉上人の開基による。

  • 津守観音(三十三体観音): 港を守り航海の安全を祈る仏として満島[1]山頂に安置されていたが、 慶長7年1602寺澤氏の築城にあたり当寺に移転された。 400年以前のものである。
  • 千体仏(千体阿弥陀如佛): 初代藩主寺澤志摩守は唐津城築城に際し城の東側を外堀として松浦川の大改修を行った。 特にあらいて口(千人塚)は幾度か工事が失敗に帰したので志摩守は人柱を立てようと当寺の宝誉上人に相談した。 上人は人命の尊さを説き千本の卒塔婆を人柱の代わりに打ち込み堤防を完成させた。 のちに人命を救った千本の卒塔婆の供養のため千体の阿弥陀仏を刻み祀った。 以後その場所は千人塚と呼ぶようになった。 当時は東唐津の千仏院に安置されていたが東唐津駅開設に伴い、当寺に移された。
  • ミイラ: 昭和2年2月22日当寺再建の為墓地移転の中、当寺代々住職の墓より、江戸中期に葬られた住職の遺骸がミイラとして発見された。 これは龜棺のふたが完全に密封であったことと砂地のため自然のミイラとなったものである。

社団法人 唐津青年会議所

右の『唐津城下町繪圖』には、千人塚・安養寺が描かれている。

ひとくちメモ

参道口は県道347号線より一本北側の道沿いにある。 参道口の直ぐ西側には宝昌寺があり、東側には天満宮が鎮座している。 細い参道両脇には多数の石仏・石塔がみられる。 矢竹の生垣もある。

山門をくぐって正面に本堂。本堂に向って左手には「千仏院」と書かれた建物がある。 歴史の項に出てくる「千体仏」はこの中に安置されているのであろう。 「津守観音」「ミイラ」(あまり見たくないが。。。)は未確認。

寺の東側は名勝虹の松原である。 すぐ北側は唐津湾である。西側の岬の先から眺める唐津城の景色はなかなかのものである。 下に周辺の写真を掲示する。

写真

  • 本堂前に掲げられている名号
    本堂前に掲げられている名号 
  • 千仏院
    千仏院 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 山門
    山門 
  • 参道口
    参道口 
  • 参道脇の石仏群
    参道脇の石仏群 
  • 参道脇の石仏群
    参道脇の石仏群 
  • 参道脇の石塔
    参道脇の石塔 
  • 参道脇の親子地蔵
    参道脇の親子地蔵 
  • 矢竹の生垣
    矢竹の生垣 
  • 喚鐘
    喚鐘 

周辺の写真

  • 唐津城 - 岬の突端より撮影
    唐津城 - 岬の突端より撮影 
  • 唐津湾(右手の島は高島)
    唐津湾(右手の島は高島) 
  • 十坊山(右手) - 裏手の漁港より撮影
    十坊山(右手) - 裏手の漁港より撮影 
  • 裏手の漁港の堤防(釣り人多数)
    裏手の漁港の堤防(釣り人多数) 
  • 裏手の漁港
    裏手の漁港