仏旗 宝珠山 東妙寺(とうみょうじ) 真言律宗  TOUMYOUJI TEMPLE 唯円 除夜の鐘を撞ける 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • イチョウの大木
    イチョウの大木 
住所・電話
〒842-0035 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1728 標高:15.8m MAP GMAP 0952-52-2084
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真言律宗(真言宗 西大寺派)東妙寺

歴史

伊藤氏メモ境内の案内板の内容を以下に記します。

当寺は、釈迦如来を本尊とする真言律宗寺院で、宝珠山と号する。その創建は鎌倉時代にさかのぼり、弘安年間1278-1288に後宇多天皇勅願による祈祷所として建立され、真言律宗総本山である南都(奈良)の西大寺の唯円上人が勅命を奉じて当地に赴き開基した名刹である。この後、「関東御祈願所」として鎌倉幕府とも関わりを深め、元徳3年1331には御醍醐天皇の綸旨を受け、建武新政期にも祈願寺として寺領保護がなされている。

この頃を中心として、肥前国内の領主達の帰依を集め、元寇恩賞地として幕府から彼らに配分された多くの土地が当寺に寄進された。

南北朝の争乱が始まって、一時九州に敗走した足利尊氏も、当寺に立ち寄り祈祷を依頼して寺領を安堵、それ以来室町幕府の保護を受けるようになる。やがて征西将軍懐良親王などの南朝勢、足利直冬勢、九州探題などの北朝・幕府勢が三つ巴となって対峙し合った情勢のもと、神崎荘一帯(現在の神埼郡)にも戦禍が波及すると、おのおの当寺と関係を結び、時には寺地附近に布陣したこともあった。

また、この頃から幕府は全国政策の一つとして、諸国利生塔の設置を推進したが、ここ肥前では当寺にて実施されている。

その後も、3代将軍足利義満から祈願寺の安堵を受けるなど将軍家累代の祈祷所として継続した。しかし、戦国時代になると、領主たちによる慢性化した寺領横領と、度重なる戦禍を被ることとなった。元亀2年1571豊後大友宗麟の侵攻を受け、伽藍はことごとく焼失したという。

江戸時代、鍋島藩の保護下に命脈を保ったものの、明治初年の廃仏毀釈の難を受けて衰退の極みに達した。昭和中期からは、同宗同派の別格本山の蓮華院誕生寺(熊本県玉名市)の庇護によって寺門再興し、今日に至っている。

蓮華院誕生寺(熊本県玉名市築地2288)・石塔院(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手2319−1)・龍田寺(佐賀市久保泉町上和泉1270)は、当寺の法類寺院(親戚寺)にあたり、創建時からつながりがある。現第48世。()

ひとくちメモ

寺の西側には田手川が流れ、寺の南側にはJR長崎本線が走っている。 寺の真ん前である!! 本堂前にはイチョウの巨木がある。

田手川の堤防に「第3回753(なごみ)ing two day shop(2016-05-22〜23)」と題されたポスターが掲示されていた。 東妙寺境内にたくさんの店が出るイベントのようである。

記事を書くためGoogle Street Viewで周辺の様子を見ると。参道口は国道34号線沿いにある。 巨大なろうそくが目印である。作者は寺の西側の集落の道路脇に念仏4号を駐輪。田手川の脇から境内に入った為このろうそくを見逃してしまった。残念無念。またお参りに行こう。

写真

  • 境内風景(幟のすぐ先はJR長崎本線)
    境内風景(幟のすぐ先はJR長崎本線) 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 寺の西を流れる田手川
    寺の西を流れる田手川 
  • 753ingのポスター
    753ingのポスター 
  • 梵鐘
    梵鐘 


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