heritage 谷山薬師(たにやまやくし) 天台宗 ☆☆☆ 背振千坊

住所・電話
〒842-0101 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈1299   標高:125.8m 地図 GMAP 0952-52-5285 
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歴史

境内の石碑の内容を下に記す。

薬師堂の由来

(前略)元禄4年(1691)小川内地区[1]に流行病が発生した際、東光寺[2](背振山中宮霊仙寺塔頭東福院の隠居寺)の長賀法印が、この地に薬師如来[3]を安置し、病気平癒を祈願したという。以来、東光寺の本尊として護り継がれてきたが、五ケ山ダム建設[4]に伴い、東光寺は移転を余儀なくされた為、平成27年(2015)背振山下宮の積翠寺修学院に、薬師堂として新たに堂宇を建立し遷座し賜う。

東光寺第十五世□[5]順記此

薬師堂内に置かれた「『谷山薬師』伝教大師謹刻尊像」と題する印刷物に 「延暦(782-806)年中、伝教大師唐渡最初、登山の時乙護善神示現して入唐随順の諾あり。種々の霊験を示す帰朝の後、顕密弘通の為、中宮[6]に講堂、龍樹堂並乙天の宮殿を建立し、薬師如来の尊像を彫刻して下宮[7]に安置し玉う。是を谷山薬師と云い今猶諸人に信仰さるる石仏なり。(寺院沿革史より)」[8]とある。

「谷山薬師」は「石仏」とある。 当薬師堂に祀られた薬師如来像はどう見ても石仏には見えない。 となると、御堂に祀られている薬師如来は谷山薬師ではないことになる。 一方、御堂のまわりには「谷山薬師」の幟旗が多数立てられている。 どこかに石仏の谷山薬師が祀られているのかも知れない。 それとも、御堂内にこの石造りの薬師如来が祀られており、作者が気づかなかっただけかも知れない。

電話番号は修学院のものです。

ひとくちメモ

薬師堂は修学院境内の本堂域より一段下の場所にある。

祀られている薬師如来は綺麗に彩色(おそらく修復)され、まるで開眼直後のようである。 薬師堂も新築間もない為、木の香がただようようだ。

御堂に向って左手は修学院の駐車場となっている。

写真

  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 薬師堂 - 裏手より撮影
    薬師堂 - 裏手より撮影 

東光寺

小川内・東光寺 - 「国境の村々・五ヶ山の歴史 ; 五ヶ山の地名と地誌 ;小川内の地名と地誌」(服部, 英雄 九州大学大学院比較社会文化研究院)より引用
小川内・東光寺 - 「国境の村々・五ヶ山の歴史 ; 五ヶ山の地名と地誌 ;小川内の地名と地誌」(服部, 英雄 九州大学大学院比較社会文化研究院)より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用
小川内・東光寺 - 『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕より引用 

『五ケ山・小川内(― 福岡県那珂川町五ヶ山・佐賀県吉野ヶ里町小川内における文化財調査1 ―)』〔第3巻〕(p25)に下記の記事がみられる。

小川内の檀那寺は集落の北東に鎮座する東光寺(天台宗)である。住職は無住で修学院の住 職が兼任しており、小川内在住の全戸が檀家となっている。

醫王山東光寺 所在地 小川内 本尊  薬師如来

脇寺  大日如来、観世音

【由緒】元禄4年(1671)、背振山東福院東光寺の住職長賀大和尚が分寺(末寺)として創建。境内の金比羅宮は安永7年(1778)建立。 霊仙寺をはじめ背振の寺が戦火で焼かれ、慶長年間に佐賀藩祖鍋島直茂公の命により、東福院東光寺を建て、中谷、北谷、水上、石上、香善、土橋、道場、多聞、石善坊の九坊を再興した。元禄四年小川内に流行病が発生し斃れる人も多く東福院東光寺の住職長賀大和尚は小川内に東光寺を建立し如来を安置して祈祷した。


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脚注