大山祗神社
[医王山東光寺旧跡]
神仏習合
☆☆☆
背振千坊
三養基新四国八十八ヶ所霊場第80番
- 住所・電話
- 〒842-0101 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈2219-1 標高:430.1m 地図 GMAP
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歴史
五ケ山ダムは昭和58年(1983)に実施計画調査を開始。 平成24年(2012)、ダム本体工事に着手。平成28年(2016)ほぼ竣工。令和3年(2021)年、供用開始。(Links③ より)
集落が五ケ山ダム建設のため水没するため、集落内の住民は移転を余儀なくされた。 この地にある神仏は小川内の集落内に祀られ、住民達に大事に祭祀されていたもので、やむなくこの移転してきたものである。
水没した集落内には棚田がみられ、のどかな田園風景が広がっていたようだ。
ひとくちメモ
大山祗神社は五ケ山ダムのダム湖を見下ろす高台にある。 高台にはかなり広い平坦面となっており、手前に東光寺に祀られていた石塔・石仏群、 その先に頑丈なゲートがあり、その先に大山祇神社がある。 大山祗神社のある高台に向かって右手に大杉がある。
写真
遠景(①が大山祗神社、②が大杉。前後方向の道は県道136号線) 案内図(「1」の位置が大山祗神社、「3」の位置が東光寺があった場所 - 大杉脇の案内板より抜粋) 五ケ山ダム湖(この岸の近くに東光寺、その先に大山祗神社と大杉があった) - 境内下の県道136号線より撮影 五ケ山ダム湖 - 大山祗神社神殿裏手より撮影
大山祗神社
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大山祗神社の創建年代は不明。祭神は山の神・大山祗尊。山の神を尊ぶ小川内の住民の精神の拠り所として尊崇されてきた。元はこの地のすぐ東側にあったが、五ケ山ダム建設の為、水没。現在の地に移転してきた。 平成18年(2006)に全世帯の移転が完了したというので、この頃の移転と思われる。
建物・鳥居は新たに再建されたもののようで真新しい。 唯一昔のままと思われる、一対の肥前狛犬が社殿の前に鎮座している。
社殿に向かって左手には、集落内にあったと思われる、記念碑などの石塔が多数ある。 その中には小川内小学校の校門と金属製の「東脊振村立小川内小学校」と浮き彫りにされた表札がみられる。
神殿の裏手からは、五ケ山ダム湖をかなり広い範囲で見渡せる。
東光寺
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また、当社のすぐ西側にあった医王山 東光寺も移転。移転先は不詳だが、本尊であった薬師如来は修学院の境内にある薬師堂(谷山薬師、平成27年(2015)建立)に移転している。
門扉の手前には、東光寺の境内や、水没した小川内の集落に祀られていたと思しき多数の石塔・石仏群がみられる。
現在の境内に「三養基新四国八十八ヶ所第80番霊場」と記された大きな石祠があるが、これはこの地の南東隣の大野に祀られていた「お不動さん」ではないかという。(Links① より)
移転して時があまり経っていない為、真新しい社殿となっている。
大杉
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当社のご神木の大杉は平成28年(2016)に当社の境内から現在の地にジャッキで引き揚げられた。(Links② より)
大杉は樹勢盛ん。よくジャッキで、この大木を引き揚げたものだと思う。
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
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Links
①小川内(東脊振村)
②「樹齢700年ご神木、高台へ ダム水没予定地から移動」 | 八ッ場(やんば)あしたの会
③五ケ山ダム - Wikipedia