いぼとりじぞう
仏教礼拝所
☆☆☆
いぼとり
- 住所・電話
- 〒842-0101 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈 標高:483.7m 地図 GMAP
- 検索
- 同地区同宗派(11) ( 4km以内 ) 関連ページ(1) MAP 周辺のスポット(4) Links(1)
歴史
当地蔵尊の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
このあたりは「嶽の屋敷」あるいは「竹の屋敷」と呼ばれていたようだ。 背振山東門寺の座主の別宅があった所のようだ。 また、当地蔵尊のそばに香椎聖母宮があったという。 当宮は健在のようだ[1]。 参考として『五ヶ山・小川内第3巻 (1)』の記事を当ページ末尾に掲示します。 当地蔵堂と座主の別宅とは何らかの関連があるのかもしれない。
昭和初期のこのあたりの地図を見ると字名が「竹ノ屋敷」となっている。(Links① より)
ひとくちメモ
この地は佐賀県・福岡県の県境への至近距離の場所である。 ここより100mほど県道を登ると、西から東に那珂川が流れ、その対岸は福岡県である。
県道136号線を佐賀県側から登って来ると、左手に「いぼとりじぞう」という表札が立っている。 そこより杉林の中を通る参道を50mほど進むと地蔵堂の前に着く。
御堂内には台座に昭和61年(1986)、同63年銘のある真新しい尊像が3体祀られている。 向かって左手より地蔵菩薩・大日如来・水子地蔵尊である。 中央の大日如来の左右には、昔から祀られていると思しき尊名不詳の石仏、石体が祀られている。
御堂前の軒下には椅子・掃除道具・風鈴・祈願用と思しき小石の入ったザルなどがみられる。 普段はここに人が集まって談笑しているのだろう。
御堂前の参道の先20mほどには3基の墓碑が立っている。かなり古いもののようだ。 3基共、墓碑の表に彫られた法名(戒名)の先頭は「釈」で始まっている。 年号銘などは確認できない。
画像の一部がピンぼけしています。初冬の午前10:30頃の撮影。日光がほぼ水平方向からさしていたためと思われます。 作者は全自動モードで撮影(所謂「バカちょん」)したため。すみません。
写真
地蔵堂全面(椅子・掃除道具・風鈴・お参り用と思しき小石の入ったザルなど、にぎやか) 地蔵菩薩(台座に昭和63年銘) 大日如来(台座に昭和63年銘) 水子地蔵尊(台座に昭和61年銘) 尊名不詳の石仏(大日如来に向かって左手) 尊名不詳の石体(大日如来に向かって右手) 小石の入ったザル(右手のザルの中には願文と氏名が記された石がある) 風鈴 - 地蔵堂軒下 地蔵堂前の杉林 - 御堂を背にして撮影 参道口(右手に表札「いぼとりじぞう」) 参道口(赤丸の地点に「いぼとりじぞう」と書かれた表札) 墓地と思われる - 地蔵堂に向かって20mほど左手 墓地(拡大)と思われる
福岡県営五ケ山ダム関連文化財調査報告Ⅰ『五ヶ山・小川内 』第3巻(福岡県文化財調査報告書 第215集)
p498の内容を下に引用する。小川内の村落の成立について述べたものである。
『黒田家文書』の「背振山由緒仏地の売渡し」によると、小川内について、記録にあらわれる最古のものは建武2年(1335)である。僧隆寂が背振中宮領中の「引地屋敷」などを「性如坊」に代銭弐拾貫文で売り渡している。[『東脊振村史』316頁]
この14世紀初めは、南北朝の動乱下で背振山を中心とする寺院勢力が衰退した時期で、当時の座主が困窮したため別宅である「嶽の屋敷」を小川内の民に売り渡したと黒田家文書は伝える。この「嶽の屋敷」の名称は、那珂川沿いに走る県道136号線を福岡県との県境手前まで北上し、西の林道へと折れた辺り一帯の俗字として、現在も残されている(「竹の屋敷」と表記する場合もある)。また黒田家文書では、この地は本来、筑前国の板屋(現在の福岡市早良区板屋)の一部だったが、小川内の民に売り渡したことで肥前の国に組み込まれたと伝える。
p517の内容を一部引用する。
香椎聖母宮。カッシイサンとも通称する。松隈から竹の屋敷へと南東に登った山林中、字坂本。 周辺の土地を所有する、小川内在住の10軒の家が管理している。祭りは年に一回、12月21日に行われ、この10軒の家が供え物を持ってお参りする。「かっしいさん祭り」と呼ばれる。
いぼとり地蔵:香椎聖母宮のそば、字坂本。いぼを治す効能があるという。
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。