山ン寺
[総持寺跡]
曹洞宗
不鉄桂文
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- 〒849-4286 佐賀県伊万里市東山代町 標高:437.6m 地図 GMAP
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歴史
平安時代の久安年間(1145-1150)松浦党の2代、源直が館を築き、総持寺を創建し、初代、源久の霊をまつり、松浦党一族の宗廟にしたといわれてきた。
遺跡には、源直[1]夫妻の墓、源久[1]の遥拝墓、源清[1]の遥拝墓と伝えられる宝篋印塔や、中世末から近世の五輪塔群・宝篋印塔群などの石造物、建物跡、土塁、石塁、石積み遺構などがある。
発掘調査の結果、この遺跡は平安時代まで遡る可能性が低く、14世紀後半から16世紀前半頃の遺跡の可能性が高いということらしい。
出土遺物は、中国や朝鮮半島、東南アジアでつくられた陶磁器片が多く含まれており、海を舞台に活躍した水軍・松浦党の人びとがもたらしたものと思われ、山ン寺遺跡が松浦党にゆかりの重要な宗教遺跡であったことを示している。(以上 Links① より)
不鉄桂文が総持寺の住職をしていた。大体、文禄元年(1592)-慶長3年(1598)頃と思われる。
秀吉が当寺の巨鐘の音が名護屋城の陣布令の鐘と混濁したので総持寺の鐘を撞くことを禁じたが、桂文はこれに従わず寺を焼き討ちにされたという話が残っている。(Links② より)
ひとくちメモ
参道口は県道316号沿いのこちら。 どこまで続いているかはわからないが、ここから林道が始まっているようだ。 ここには「山ン寺史跡出入り口」と記された大きな道標と案内板が設置されている。 案内板にはここから600mと表示されている。
「山ン寺」とは「山の寺」という意味で、昔は地域の人たちはこの呼び方をしていて、いつの日か固有名詞的な扱いにされたのだろう。
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