heritage 廣宣山(こうせんざん) 妙顕寺(みょうけんじ) 日蓮宗 ★☆☆ 仁王門 伊藤氏参拝済

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〒848-0027 佐賀県伊万里市立花町3471   標高:11.6m 地図 GMAP 0955-22-2625  ホームページ
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歴史

仁王門に掲げられている墨書きの案内板の内容を下に記す。 ホームページによれば、日本最大という身の丈7尺(≒2.1m)の鬼子母神像(貞享2年(1685))をはじめ多数の寺宝が写真と共に掲載されている。 また、案内板より詳しい歴史も記されている。ご一読あれ。

広宣山 妙顕寺 沿革

応永9年(1402)今より600年前に伊万里市富士町法華谷に開創されました。 開山は妙顕院日性上人、開基は六老僧日頂上人とも伝えられている。

山崩れの為に法華谷から長谷に移り、町が発展の兆しを見て、伊万里朝日町(元町)に移り、 明治32年に水害等の心配がない現在地に4回目の移転をなし、今日に至っている。 寛文元年(1661)鍋島勝茂の迫害を受け、経木・過去帖並に古記録を全て焼却した。

享保の初め、当山の院代常入院日悟は町民の水不足に苦しむのを見て、毎朝法を唱へて市中を廻り、その浄財を得て、自ら岩を堀り数年の年月をかけ完成、世人之を称して常入井戸と云い伊万里市水道水源地の源となった。(常入院日悟は町の中に溝を廻して堀り、水を配した。)

26世遠照院日静上人は度々宮中へ召され、明治天皇より菊の御紋入りの数々の品、又宮家よりも賜った。(以下略)

平成11年4月10日

ひとくちメモ

参道口より緩やかな坂道を登ると仁王門にたどり着く。 二階部分には凝った装飾がほどこされている。 鐘楼の台座部分の装飾と朱色の柱も印象的である。 境内には本堂の他、稲荷堂・清正公堂・浄行菩薩堂・十三重塔などがみられる。 参道をはじめ境内至る所に今が盛りと多数のアジサイが咲いていた。

伊藤氏メモ現第31世。「お墓まいりには、まず本堂のご本尊様に参拝してから・・・・」の掲示があり、いつでも本堂に上がっておまいりできる。 大きな本堂内には、荘厳の左右に美しい丸みをもち身の丈ほどもあろうかという大きな有田焼の壺が数個置かれている。 また、本尊左側には、当山の守護神であり、日本最大という身丈2mほどの鬼子母神像が御簾の後ろに鎮座しており、像の一部は外陣部からも見ることができる。

鐘楼は、総欅造りで大正期に建立されたものであり、朱色を基調とし遠くからも目立つ。 清正公堂は、享保年間(1716-1736)に成富兵庫の孫・兵衛によって伊万里海岸の生島に建立され、当山に寄進。 その後、昭和の終わりに現在地に新築移転されたものである。()

写真

  • 仁王門 - 境内から撮影
    仁王門 - 境内から撮影 
  • 仁王門の装飾
    仁王門の装飾 
  • 仁王像(拡大。阿形。吽形の写真はピンぼけの為未掲載。)
    仁王像(拡大。阿形。吽形の写真はピンぼけの為未掲載。) 
  • 仁王像(阿形)
    仁王像(阿形) 
  • 仁王像(吽形)
    仁王像(吽形) 
  • 仁王門脇の石碑
    仁王門脇の石碑 
  • 稲荷堂
    稲荷堂 
  • 浄行菩薩堂
    浄行菩薩堂 
  • 浄行菩薩
    浄行菩薩 
  • 清正公堂(享保年間に、成富兵庫の孫、兵衛によって伊万里の海岸の生島に建立されて、寺に寄進され、昭和の終わりに境内へ新築移転)
    清正公堂(享保年間に、成富兵庫の孫、兵衛によって伊万里の海岸の生島に建立されて、寺に寄進され、昭和の終わりに境内へ新築移転) 
  • 参道口
    参道口 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 十三重塔
    十三重塔 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 仁王門前のカエデ
    仁王門前のカエデ 
  • 参道のアジサイ
    参道のアジサイ 
  • 参道のアジサイ
    参道のアジサイ 
  • 梵鐘
    梵鐘 

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