heritage 楠久津の町並(くすくつのまちなみ) 町並 ★☆☆

住所・電話
〒849-4251 佐賀県伊万里市山代町楠久312   標高:11.8m 地図 GMAP 0955-28-0123 
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歴史

「楠久」という地名は、朝鮮半島の三国時代以前にあった加羅国語が語源で、「ク」は大きい、「スク」は城、囲いを表す。 中世までは漢字をあてず仮名で記録されてきた。 漢字の「楠久」は当て字。

「楠久津」は新しく、津として使われるようになったのは、古いものは室町時代あたりで、松浦党が出入りした港だと推定されている。 嵯峨源氏から8代目源久が松浦地方に下向したのが、松浦党の始まり。楠久津ではないが、700年前には楠久城もあった(現在の太明山 本光寺の境内がその場所である)。 天正4年(1576)、松浦党は竜造寺隆信に滅ぼされるが、航海技術を持つ人々の存在という背景の中で佐賀藩は楠久津を重要視する。文書には、寛文13年(1636)佐賀藩の御舟屋が設置されたとある。江戸期の楠久津は、佐賀本藩の直轄領で、鍋島水軍の拠点であった。

江戸後期、アヘン戦争で景徳鎮の窯から輸出できなくなった為、伊万里焼は「バカ売れした。」という。 伊万里の方は海が浅かったため、伊万里から小舟で楠久津まで持ってきて本船に積み替えた。 また、石炭も大きくこの町の発展に寄与した。伊万里湾周辺、特に山代から産出された石炭は楠久津からも船出しされ、イギリスが買い求めた。

伊万里湾一帯の漁業権は楠久津が持っていたという。五島などでとれる鯛は、博多で高く売れ、生計を立てることができたが、幕末になると、忙しくなり漁ができない。 これでは、生活ができない。そこで今度は、あわびやなまこ、ふかのひれなどを干した俵物をつくって生活したらしい。 なので、江戸期において楠久津=漁村というより、いわば、半漁士族の村であった。

 楠久津の船団は人々が中世から脈々と持っていた高い操船技術も含めて明治政府へそっくり献上され、日本の近代化へ結びついていく。 (以上 Links① などより)

ひとくちメモ

掲示している地図の旧道では楠久津の繁栄の痕跡を垣間見ることができる。

下に、西から東に向かう順の散策スポットを掲示します。

和尚カフェいちの寺茶房仏堂本光寺小城藩本陣跡楠久神社地蔵堂松浦一酒造佐賀藩御船方役所跡渡唐天神社秋葉権現住吉神社賢海寺

和尚カフェいちの寺茶房

和尚カフェいちの寺茶房は九壽久山と号し、曹洞宗の寺院である。 当寺は本光寺の塔頭寺院。

道向いには七幸神社が鎮座している。

仏堂

仏堂は道端にある。

本光寺

本光寺は太明山と号し、曹洞宗の寺院である。 当寺は室町時代のくすく城址内。 寛文3年(1663)より明治4年(1871)7月まで、当寺は鍋島水軍の鎮守社司宰(しさい)御船方休憩所(おふなかたきゅうけいしょ)楠久(くすく)六区の邑会所(むらかいしょ)を勤めたという。

小城藩本陣跡

建物脇の「小城藩本陣跡(小嶋家)」表示(周辺のスポットにはこのタイプの表示が至る所に設置されている。ありがたい。)
建物脇の「小城藩本陣跡(小嶋家)」表示(周辺のスポットにはこのタイプの表示が至る所に設置されている。ありがたい。) 
小城藩本陣跡建物
小城藩本陣跡建物 
小城藩本陣跡建物
小城藩本陣跡建物 

白壁造りの格調高い建物である。


楠久神社

鳥居
鳥居 
門前の風景 - 楠久神社
門前の風景 - 楠久神社 

当社の縁起等は不詳。分かり次第追記します。

門前の道のすぐ西側には「蝋屋跡」「油屋跡」の表示がみられる。

周辺の散策でクタクタ。本殿域までは登れませんでした。すみません。


地蔵堂

地蔵堂は道より少し北側に路地を入った所にある。

松浦一酒造

煙突
煙突 
松浦一酒造
松浦一酒造 
松浦一酒造内
松浦一酒造内 
門前の風景 - 右手が松浦一酒造
門前の風景 - 右手が松浦一酒造 

ホームページによれば、創業は正徳6年(1716)

場内には「河伯の蔵」があり数々のカッパのコレクションがあるという。 中でもカッパのミイラは必見。


佐賀藩御船方役所跡

佐賀藩御船方役所跡(旧佐賀銀行楠久出張所)
佐賀藩御船方役所跡(旧佐賀銀行楠久出張所) 

佐賀銀行のホームページによれば、この建物は、佐賀銀行楠久出張所であったが、2015-02-16に移転したようだ。 現在(2018-06-03)は、「楠久・津 歴史ふれあい館」「佐賀藩御船方役所跡」の看板が掛けられている。


渡唐天神社

御神体
御神体 
石段
石段 
石段脇の道標
石段脇の道標 
境内より眺める楠久の町並
境内より眺める楠久の町並 

境内の案内板の内容を下に記す。

楠久渡唐(宋)天神社

伊万里津(いまりつ)楠久津(くすくつ)は鍋島藩の要所でした。

御船屋(おふなや)が置かれ出島長崎警固役等、幕府の重要な役割を担っていたからです。

また2年に1回の参勤交代には海の往き来、伏見から江戸までの陸路を助けました。 古くは松浦党の時代から航海や操船技術がすぐれ、 伊万里湾は奥が深く〜静かで、とくに楠久前潟港(くすくまえがたこう)は自然条件のそろった港でした。

港湾の航海の安全をつかさどる鍋島水軍の鎮守が「楠久渡唐(宋)天神社」で、御尊神は太宰府から勧請されました。 事務は石段下の屋舎でとられ、御台場や関船(せきふね)にはすべて渡唐(宋)天神の御牘(おふだ)が納付されました。

管理者 本光寺

参道口より石段を登って境内に入る。 御神体は正面の石塔のようである。


秋葉権現

秋葉権現
秋葉権現 

秋葉権現は大楠の脇の小さな祠である。


住吉神社

天正19年(1591)、秀吉は朝鮮出兵に先立ち、九州の諸大名に松浦半島の丘陵地・名護屋村に壮大な城を築かせた。 このころ、小西行長は海上の守護神として、当社を創建した。

文政年間(1818-1829)、佐賀鍋島藩主陪臣(ばいしん)西氏が再興。元治元年(1864)、氏子によって再修された。(以上 境内の案内板(平成26年(2014) 楠久津区)より)

鳥居には「維持文政元龍舎戌虎(1818)林鐘吉祥日」銘がある。


賢海寺

賢海寺は西海山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。 ここに船奉行役宅があったという。

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