太明山
本光寺
曹洞宗
★☆☆
坐禅
不鉄桂文
六地蔵塔
- 住所・電話
-
〒849-4251 佐賀県伊万里市山代町楠久360
標高:18.5m
地図
GMAP
0955-28-0070
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歴史
門前の案内板の内容を下に記す。
本光寺小史
當山は室町時代のくすく城址内にあります。 大陸との古い関わりから山号を太明山と呼称してきました。
元和2年(1616)くすく五院(本光寺 本覚寺佛積寺大園寺大行寺)を統合、 元和4年(1618)藩祖直茂公の請いにより松浦党下の不鉄桂文禅師が日峰山宗智寺(佐賀市旧多布施城址)を開創された由縁で末寺も加えられ、曹洞宗になりました。
寛文3年(1663)より明治4年(1871)7月まで、當寺は鍋島水軍の鎮守社司宰、御船方休憩所、楠久六区の邑会所を勤めました。
- 開山 不鉄桂文大和尚(高伝寺7世)
- 開基 鍋島紀伊守元茂公(小城初代藩士)
- 本尊 無量壽光如来阿彌佛(座像)
- 塔頭 壱之寺
桂文禅師は伊万里市東山代町の玉雲山 親種禅寺も開山している。
Linksのページによれば、楠久津には佐賀藩と小城藩の軍港が置かれ、元茂公が公務の途上で没されたときも、この港に上陸され本光寺で通夜が営まれた。今も位牌が安置されている。 鍋島水軍の御船屋があったことから、頼山陽・丸山応斎・日根対山・吉嗣拝山・平野五岳・大内青巒等の滞在も多く、寺はそれらの人を迎える迎賓館や文化会館でもあったようで彼等の筆による書が多く所蔵されているという。
寺の境内は北川の海岸線まで広がっている。広大である。 詳細な配置図がホームページに記されている。
ひとくちメモ
参道両脇には6基の六地蔵塔が並んで立っている。 本堂に向かって左手前には阿育地蔵尊、その右隣りには楠久観音堂、さらにその右脇にはマリア観音像がひっそりと立っている。 本堂に向かって左手には圓寂堂があり、内部には釈迦如来坐像が安置され、屋根の法輪部分にはミヤンマーで譲り受けたと言われる仏舎利が安置されているという。 ホームページの境内案内図によれば、広大な敷地。見逃したもの多数あり。
本堂前で念仏していると、先代住職の奥様が声をかけて下さり、境内を案内していただいた。 感謝感謝である。 門前の道はかなり古い道で、先代住職はその歴史の紹介に注力されているとの事。 このお話で作者の街道巡りの好奇心に火が付き、急遽門前の道の東西の踏査モードとなる。 この道沿いには、小城藩本陣跡・お船方番所跡など江戸期の史蹟が多数あることが分かった。 詳細は別ページにて近々掲載することとする。
写真
本堂 参道口 本堂の扁額 境内風景 - 本堂を背にして撮影 庫裏玄関 鐘楼 圓寂堂の扁額 マリア観音(めずらしい) - 楠久観音堂に向かって右手 マリア観音(拡大) 仏塔(大理石製・ミャンマー産という) 楠久観音堂の扁額(名の有る方の書と云う) 楠久観音堂内の荘厳 観音菩薩像(中央) - 楠久観音堂内 観音菩薩像(向かって右手) - 楠久観音堂内 千手十一面観音他(向かって左手) 阿育地蔵尊 参道(両脇の6基の六地蔵塔が並んでいる) - 参道口に向かって撮影 門前の風景(向かって右手が本光寺) 本堂前のイチョウの大木 圓寂堂(内部には釈迦如来坐像・弘法大師像が祀られている。屋根の法輪部分にはミャンマーから譲り受けた仏舎利が祀られているという。) 喚鐘 梵鐘
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