宇佐宮弥勒寺跡
天台宗
FORMER USAGUU-MiROKUJI
六郷満山
伊藤氏参拝済
宇佐神宮六郷満山霊場第2番札所
歴史
『国東六郷満山 宇佐神宮と国東半島霊場札所巡り 』によれば、神亀2年725、宇佐神宮創建の際、菱形池東方に建てられた弥勒禅院を、天平10年738、現在の地に移す。 この時初代別当に法蓮が任命された[1]。
江戸期に衰退。明治の神仏分離令と幕末の混乱の中、長州軍の焼き討ちに遭った後は再興かなわず[2]。
神仏分離令による廃仏毀釈運動のごたごたのさなか、弥勒寺講堂に安置されていた弥勒菩薩坐像(檜の寄木造・室町期・像高:287cm)は、阿弥陀如来立像と共に極楽寺に遷座。危うく難を逃れた。薬師如来坐像は大善寺に遷座・安置されているという。
ひとくちメモ
広大な敷地に現在残されたものは、多数の礎石と1基の石塔と思われる石のみである。 相当な規模のお寺であった事がわかる。 この後、弥勒寺の遺物が保存されているという、大善寺と極楽寺に向かった()。
写真
西参道(正面に呉橋が見える) 跡地 跡地の礎石郡 跡地の礎石郡 宇佐神宮境内案内図(にしさんどうの両側に伽藍が描かれている) - 跡地に設置されている陶板製の案内板より抜粋 江戸末期(1864)の宇佐神宮(蓑虫山人(土岐源吾)作。左上隅あたりに伽藍が描かれている) - 呉橋脇の案内板より抜粋