東本願寺四日市別院
真宗大谷派
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- 〒879-0471 大分県宇佐市四日市1425-1 標高:21.5m 地図 GMAP 0978-32-0050 ホームページ
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歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
真宗大谷派四日市別院(東別院)
宇佐市四日市にある別院の歴史は永禄5年(1562)戦乱の世を厭った渡辺氏の出家から始まります。 四日市の豪族・渡辺統綱は息子に家督を譲り、近隣の森山教覚寺[1]の勧誘で大阪石山本願寺を参詣します。 そこで法名「専予」を賜り、帰国後、廃寺となっていた宇佐郡山本村の名刹・虚空蔵寺の中に「専予(養)庵」を結びました。 その後、息子・統述も出家して父の跡を継ぎ、天平13年(1585)専予庵に真勝寺の寺号を賜り、延宝2年(1676)現在地に移転しました。
以後、真勝寺は、末寺22ケ寺、門徒5000人を有するほどに隆盛を迎えましたが、元文2年(1737)運営について対立が起き、寛保3年(1743)寺社奉行「大岡越前守忠相」の裁きにより、真勝寺は幕府没収、翌年、東本願寺に下げ渡されることとなりました。 これが九州東派647寺を総監する「九州御房」こと「四日市別院」の始まりです。
しかし、幕末になるとこの四日市別院も倒幕運動の激動の波に飲み込まれることになりました。 宇佐地方の倒幕派の志士たちは、幕府領の「四日市陣屋」を襲撃、役人達が東別院に逃げ込んだため、本堂や周辺の屋敷などに火をかけ、御許山も陣を構えました。 これがいわゆる「御許山騒動」と呼ばれる事件で、この騒動により、当時の二層屋根構造の大伽藍は焼失してしまいました。 現在ある本堂は、明治13年(1880)に九州中の門信徒の力で再建されたものです。
一方、二重構造の威風堂々とした山門は、幸いにも御許山騒動の兵火を免れ、慶応元年(1865)の建立当初の大門の姿を今に伝え、現在、県の有形文化財に指定されています。 また、本堂を含む境内の建造物の多くは国の登録有形文化財となっています。
- 県指定有形文化財 山門(平成17年3月29日指定)
- 国登録有形文化財 本堂、経蔵、太鼓楼、土塀及び石垣、石橋及び水路石垣(平成21年8月25日登録)
宇佐市教育委員会社会教育課 宇佐市観光まちづくり課
ひとくちメモ
未参拝の為未稿。
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