法華院観音堂
[法華院温泉山荘]
仏教礼拝所
法華院温泉
歴史
『九重山記』[1]によると、正中元年(1324)、人皇2代綏靖天皇を奉請して、12所大名神として祀ったのに始まる。
文明2年(1470)英彦山より養順法印が入山し、修験道場を建立、法華院白水寺[2]と呼ばれるようになった。 戦国時代に大友、島津の争いに巻きこまれ堂塔全てを焼失し、一時衰退。
11代目に勝光院豪尊という傑僧が出て、苦行の後、院を再興し、慶安2年(1649)現存する十一面観音・不動明王・毘沙門天を安置した。
江戸時代になり、竹田岡藩の祈願所として、武運長久、家内安全を祈願するとともに、国境の警備の任にもあたっていた。 明治になって神仏分離となり、岡藩からの禄もなくなり、4つの支院は山を下り、弘蔵坊だけがこの地に止まった。
明治15年(1882)火災により、本坊及び支坊は皆焼失した。この頃には登山をする人も多くなってきたので、24代弘蔵孟夫が山宿を始めた。法華院温泉山荘の創業である。 戦中、戦後も多くの登山者によって支えられ、弘蔵祐夫、岳久と受け継ぎ、宿としては、現在3代目、お寺としては26代目となる。(以上 Links① より)
当院は当サイトに登録済みの九州のお寺・お堂の中で最大高度である。(端の寺 | お寺関係のコラム参照のこと。)
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。