仏現山
光明寺
真宗大谷派
伊藤氏参拝済
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- 〒870-0009 大分県大分市王子町4-7 標高:5.1m 地図 GMAP 097-536-5714
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歴史
伊藤氏メモ永禄4年(1561)、豊後国大分郡笠和郡駄原村樋口氏の一子が、本願寺第11世顕如上人に奉謁、剃髪して法名了讃を賜り、養安(現在地の古名)の地に草庵を結んだ。これが光明寺の始まりである。
正保2年(1645)、第5代浄西が肥後領阿蘇谷樒村より木仏を負奉って帰った(現在の本尊である阿弥陀如来像)。 また、第6代祐元が願主となり、本願寺第13世宣如上人より光明寺の寺号と木仏裏書が下付された。同時に親鸞聖人・教如上人の御影を請稟した。
- 昭和19年(1944)、梵鐘を戦時供出。
- 昭和20年(1945)、大分大空襲の焼夷弾により本堂・鐘楼・庫裡を焼失した。現在も鐘楼はない。
- 昭和49年(1974)、西大分地区土地区画整理第一期工事により、本堂・山門・庫裡を8m前方に曳いた。
- 昭和50年(1975)、境内参道を敷設。
- 昭和54年(1979)、区画整理第二期工事による墓地移転を終え、南生石東に礼拝堂を兼ね備えた光明寺浄苑(墓地)を新設した。
- 昭和55年(1980)、門徒会館竣工落慶。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
本堂について
伊藤氏メモ昔の本堂は、享保2年(1717)に建立され、安政元年(1854)の大地震の後も復元して護持されてきたが、昭和20年(1945)大空襲によって灰燼に帰した。
現在の本堂は、昭和31年(1956)に戦後復興された本堂である。賀来の遊林寺の本堂(昭和4年(1929)造)を買い取り、解体運搬して再建したもの。元は茅葺の屋根であった。(以上、光明寺の資料より抜粋)(2022-05-05)
山門について
伊藤氏メモ安永5年(1776)頃、生石浄土寺にあった古門を因縁あって光明寺に移した。その後、浄土寺は再度焼失に及ぶも光明寺は類焼に繋がらなかったため、人々はこの門に不思議な徳ありと語り合った。この門の梁には波に法螺貝の彫物(左甚五郎の門弟の作という)があることから、大火のときは法螺貝を吹くという風説が生まれた。往来の諸人足を止めてこの彫物を熟覧した、と伝えられている。
安政元年(1854)の大地震のとき、東に倒壊したが、破損の箇所を取り替えて復元し、現在に至っている。
なお、昭和20年(1945)の大分大空襲の際、光明寺で焼失を免れた建造物は、この山門だけであった。(以上、光明寺の資料より抜粋) (2022-05-05)
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