三慧山
西浄寺
浄土真宗本願寺派
★☆☆
日田街道
- 住所・電話
- 〒871-0401 大分県中津市耶馬溪町大字平田1004 標高:81.1m 地図 GMAP 0979-54-2047
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歴史
当寺の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
境内入口に「大内義隆書の扁額」という掲示がある。本堂には「太宰大貳大内義隆」銘の扁額がかけられている。 この扁額のことだろう。下の写真を参照のこと。
門前の山国川には馬溪橋が架かっている。 門前の山国川を渡った所は「立留りの景」がみられる。 寺の裏手には平田城址がある。
ひとくちメモ
西浄寺は県道272号線から馬溪橋を渡ってすぐの所である。 本堂は当地区屈指の規模。風格を感じさせるものとなっている。
山門前は山国川が流れている。 境内から山国川とその先の山々の風景は絶景である。
写真
本堂 本堂(風格を感じる) 本堂の扁額(大内義隆の書、「太宰大貳大内義隆」銘) 鐘楼 山門 境内風景 - 本堂を背にして撮影 鬼瓦 - 山門脇 太鼓 - 本堂軒下 山門の乳金具 境内風景 三慧保育園の看板 梵鐘 喚鐘 - 本堂軒下
馬溪橋
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往時はこの川を渡るのは、夏は渡し船、春秋冬は仮橋が架けられていた。 しかし仮橋は増水の都度修復をする苦労が続いていた。
大正3年(1914)に下城井橋が架けられたが、同11年(1922)の大洪水で流失。今も川底に礎石が残っている。
人々の苦労を目の当たりにした、甲斐伊蔵が永久橋を架けることを決意、潜水夫を雇い、川底の岩盤まで掘り下げ基礎を造り、地元をあげての一大事業として架橋をなしとげた。この橋が現在の馬溪橋である。 大正12年(1923)には国の名勝に指定された。
馬溪橋は石橋アーチ橋としては全国4番目の長さを誇る。 第1位は耶馬渓橋、第3位は羅漢寺橋である。これらを併せて「耶馬三橋」として知られる。
男はつらいよ 寅次郎の休日(第43作)(1990年)のロケ地としても使用された。
2020-10-13、この記事を書くついでに上の映画を視聴。 馬溪橋の情景は、はじめの方に数秒映っているのみ。ほとんど、日田市内がメインである。 ここからは、至らぬこと。この映画の最後に寅さんが柴又からまた旅に出る時、柴又駅に見送りについて来た、さくらの息子みつおに別れ際に言った名台詞、 「困ったことがあったならな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさんはどっからでも飛んできてやるから。」 この場面の寅次郎は阿弥陀如来に見えた。
「立留りの景」
この山の景色が「名勝耶馬溪 立留りの景」というという。 地元の方々には申し訳ないが、まず、この景色が「名勝」と呼ばれるほどのものかどうか作者は疑問である。 確かに、この風景か我が福岡市にあったら、「名勝」になるところであろうが、この地区にはこういった景色はどこででも見ることができる。 それほどこの地区は絶景が多いということである。
現地案内板の内容を下に要約する。
今から250年前のある夜半、大きな音響とともの岩山が崩れ落ち、この景ができた。 昔は岩山と山国川との間に竹林があり、「尺八竹」として有名であった。
尺八竹は3つの寺の梵鐘と川の瀬音、馬の蹄の音の聞こえる所に成長した竹でないとよい音が出ないといわれる。 ここの竹は虎斑の入った珍しい竹で、江戸期には将軍に献上していた。
上の「3つの寺」とは、この西浄寺・久福寺・円徳寺のこと。 「川の瀬音」の川とはこの山国川のこと。 中津から日田へ通う旧日田中津街道がこの西浄寺の近くを通過していた。「馬の蹄の音」とは、この街道を通過する馬の蹄の音のことである。
平田城址
建久(1190-1199)の頃、野中重房によって築かれたと云われる。 天正16年(1588)中津城の黒田孝高が長岩城の野中氏を滅ぼすと、家臣の栗山備後守利安を当平田城主とした。このときに石垣などが整備されたという。Links① より。
作者は残念ながら現地には行けていない。
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