慧日閣
浄光寺
浄土真宗本願寺派
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〒879-0101 大分県中津市今津572
標高:8.9m
地図
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0979-32-0131
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歴史
伊藤氏メモ明応2年(1493)、本願寺第8代宗主蓮如上人の直属の弟子・西心法師(西円)を開基として浄光寺は歩みを始める。西心法師は近江(滋賀県彦根市)の生まれ。蓮如上人より西国教化の命を受け、まず広島で品窮寺(広島県安佐北区)を創建した後に、当地豊前に浄光寺を創建した。
浄光寺は、江戸時代に入ってからは、豊前森山の教覚寺[1]崇廓の弟子であった浄光寺円珠が学林(龍谷大学の前身)に登り、浄光寺義天(円然)を経て、浄光寺月珠に至った。
月珠(1795-1856)は義天の嫡男として生まれ、初め真宗学を豊前福島の長久寺[2]道隠に学び、道隠が没すると父の義天に就いて研鑽し蘊奥を究めた。文政11年(1828)京都の本山西本願寺に奉職し、これより毎年命を受け各地を奔走した。天保6年(1835)安居(学僧の教学研鑽の場)講師。その後、職を辞して帰郷、浄光寺に学寮[慧日閣]を開いて後進の教育に尽力した。嘉永2年(1849)司教を授けられ、嘉永4年(1851)勧学職に任ぜられた。月珠は、晩年、深励・僧叡・南渓等の諸説を参考にして[豊前学派]という一学派を形成した。
[慧日閣]の門人は多く、特に堀川観阿・上原宣正・摂受吐月・東陽円月・七里恒順・諦観の6勧学をはじめ、優れた学僧を多く輩出している。福沢諭吉も幼年期に[慧日閣]で学んでいる。(「当寺HP」より)()
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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