heritage 正壽山(しょうじゅざん) 浄安寺(じょうあんじ) 浄土宗 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒871-0075 大分県中津市寺町995   標高:6.8m 地図 GMAP 0979-22-2753  ホームページ
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歴史

伊藤氏メモ寛永17年(1640)、小笠原長継(ながつぐ)の菩提を弔うため、長男の小笠原政直が建立。 正徳5年(1715)本堂と鐘楼が焼失。現在の本堂は文化8年(1811)、舟町の豪商・井筒屋勘之助高通(たかみち)の寄進により再建されたもの。

明治22年(1889)に中津町会議員の初選挙が行われたのち、初めての町議会がこの浄安寺で開かれた。

境内には、明治・大正期の貴族院議員で富士紡績などで活躍した実業家・和田豊冶(とよじ)の墓や、福沢諭吉が養子になったこともある叔父・中村術平(じゅっぺい)の墓、中津藩の祐筆で書家の磯田嵩山(すうざん)東郭(とうかく)の墓、書家の中村寿山(じゅざん)の墓がある。

例年2月15日~3月15日には、平安時代の作と伝えられる阿弥陀如来像の傍らで「大涅槃図」が限定公開。「大涅槃図」は、中津小笠原藩絵師・海北友倩(かいほくゆうぜい)による1690年頃の作で、小笠原家から寄進されたものである。縦2.9m、横2.1mの大作で、入滅する釈迦の周りで嘆く弟子たちや空に現れる天女などが細かく描かれている。(『寺町ガイドブック(中津耶馬溪観光協会)』より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ本堂正面に掛けられた幔幕の染め抜きによると、平成21年(2009)で第17世の寺歴。山門の両サイド、通りに沿って白壁が続いており、清楚美を感じる。()

山門は歴史を感じさせる造りである。 平安時代の作の阿弥陀如来像と大涅槃図は未確認。残念(ホームページでご覧ください)。 境内の南端の区画は名のある方の墓地と思われる。 未確認。

写真

  • 山門の表札
    山門の表札 
  • 山門 - 本堂を背にして撮影
    山門 - 本堂を背にして撮影 
  • 石塔・地蔵菩薩像
    石塔・地蔵菩薩像 
  • 境内南端の区画にある墓地(名のある方の墓地であろう)
    境内南端の区画にある墓地(名のある方の墓地であろう) 
  • 山門の乳金具
    山門の乳金具 
  • 山門の金具
    山門の金具 
  • 喚鐘
    喚鐘 

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