heritage 獅子吼山(ししくざん) 寶蓮坊(ほうれんぼう) [宝蓮坊] 真宗大谷派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒871-0075 大分県中津市寺町980   標高:7.6m 地図 GMAP 0979-22-4324 
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歴史

伊藤氏メモ慶長5年(1600)細川忠興が中津城に入封の際、名僧の誉れ高かった行橋浄喜寺の住職・村上良慶を伴って中津浄喜寺を開基した。 慶長12年(1607)、東本願寺初代教如上人から特別の功績により坊号を贈られ、寶蓮坊と寺号を改めた。

寶蓮坊はその後、代々名僧が続いたが、特に第3世・村上良道(この良道から村上家は代々中津藩の御典医を務めた)は学問に秀で、勅命により聖徳太子の経典を進講。 天皇からお褒めをいただき、大阪四天王寺・奥の院に祀られていた太子の尊像を拝受したと伝えられている。

良道は堂を建て、多くの信者に講義を続けていたが、長年の風雨により堂は崩壊。尊像は現在本堂に安置され、楼門のみが当時の面影を残している。

本堂は、明治の初めに天神町の火事で類焼したため、諸町の菊池氏を中心として明治12年(1879)に再興。 外は土蔵造り、中は書院造りでひじょうに丁寧に造られている。 太子門は、中津奥平初代藩主・奥平昌成(まさしげ)の寄進により建立。この門の正面にかつて六角の太子堂があり、聖徳太子像を安置していたのでこう呼ばれている。(『寺町ガイドブック(中津耶馬溪観光協会)』より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ 聖徳太子像は、現在本堂内本尊の右手の方に祀られている。木造の坐像で高さ94cm。室町時代末から江戸時代初期の作と伝えられている。平成25年に市の有形文化財に指定されている。くすんだ赤色の衣をまとい、頭頂部に正方形の冠を被っているのが珍しい。

山門前には、[魚町の蛭子宮(おいべっさん)]が鎮座する。江戸時代に若松港の蛭子宮の分霊を勧請したものという。商売繁盛・家内安全の神として信仰され、毎年12月3日に祭礼が行われている。()

鐘楼門・本堂は歴史を感じさせる趣。 境内には、井戸・渉成桜などがみられる。 太子門は境内北側にある。

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼門
    鐘楼門 
  • 本堂前面
    本堂前面 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 水盤と井戸
    水盤と井戸 
  • 渉成桜(案内板によれば、平成8年東本願寺別邸枳殻邸から(おそらく種)をマッチ箱で持ち帰った桜とのこと)
    渉成桜(案内板によれば、平成8年東本願寺別邸枳殻邸から(おそらく種)をマッチ箱で持ち帰った桜とのこと) 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 喚鐘
    喚鐘 

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