岡谷山浄蓮院
圓龍寺
[円龍寺・閻魔さんのお寺]
浄土宗
★☆☆
閻魔堂
伊藤氏参拝済
キリシタン遺物
- 住所・電話
- 〒871-0075 大分県中津市寺町991 標高:7.2m 地図 GMAP 0979-22-2045
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歴史
伊藤氏メモ寛永9年(1632)、小笠原長次公が播州龍野7万石から中津藩主として入国したとき、専誉上人を開山として開かれた。阿弥陀如来を本尊に祀る。
山門を入って左手に観音堂と閻魔堂がある。閻魔堂には、江戸時代の造立と思われる閻魔大王像と葬頭河婆(奪衣婆)像が安置され、江戸時代以来の閻魔信仰を今に伝えている。一説では、この像は中津藩の武士が箱根山で災難に遭い、閻魔大王への祈願によって救われたことを感謝し、山国川の畔に造立したものだといわれている。当寺は「閻魔さんのお寺」として知られている。
(『中津藩(シリーズ藩物語) 』)より()
ひとくちメモ
コンパクトな境内。本堂をはじめ観音堂・閻魔堂・六地蔵などがすっきりと配置されている。
閻魔堂の正面はガラス張り。 おなじみの閻魔大王の橫に人頭杖が添えてある。 これは、死者を裁く十王(閻魔大王はその中のリーダー)の補助をする役人(司命)が手に持つ杖である。 人の頭が2つあしらわれる。 他所ではなかなかみられないものである。 葬頭河婆(奪衣婆)も恐ろしいお姿をされておられる。 観音堂内は金色と朱色が基調のデザインで、子安観世音菩薩が祀られている。
伊藤氏メモ観音堂・閻魔堂の左前に、キリシタン風の形状に見える織部燈籠が立っている。この燈籠は、殿町の井上家に伝来したもので、平成28年(2016)に井上家ゆかりの当寺に寄進されたものである。貴重な民俗資料として、大分県の有形民俗文化財に指定されている。 (切支丹大名につながる長剣花菱紋様が見られる珍しい織部燈籠参照)
当寺第21世の晋山式が本年(令和元年(2019))11月10日に行われる旨の案内板が山門前に立っている。()
写真
本堂の扁額 六地蔵 閻魔堂の扁額 閻魔堂内 葬頭河婆(奪衣婆)(拡大) 人頭杖(冥界の司命の持物) 観音堂内 観音堂の扁額 閻魔堂全景 観音堂全景 山門 山門の扁額 山門の扉(乳金具と三階菱) 山門の金具 喚鐘
切支丹大名につながる長剣花菱紋様が見られる珍しい織部燈籠(推定細川忠興時代)
以下は神奈川県藤沢在住YH様より頂戴した情報である。感謝感謝。
圓龍寺には織部燈籠は2016年からあるのですが、元は殿町・井上邸にあったもの。 これが、寄進され移設したものです。
殿町・井上邸は、江戸時代は江戸家老を務めた逸見志摩の屋敷跡です。(街の観光案内マップにも記されています)
このことから、江戸時代よりずっとここにあったと思われます。それも逸見家(奥平藩)、小笠原藩より遡って細川忠興(1563-1646)時代の物と想像されます。細川忠興は切支丹大名です。
織部燈籠については諸説ありますが、私も隠れキリシタン説には? です。
然し、注目すべき点があります。それは火袋正面から見て右側面にある紋様。長剣花菱です。 火袋は通常四面開いていますが、その一面が紋様で塞がれている物は珍しいと思います。 また、長剣花菱紋様は、あの時代のキリシタン大名の諸物に多く見られます。武具、瀬戸物(皿・徳利など)他。
この紋様が付いたものを、私は日本一の隠れキリシタン遺産を所蔵する沢田美喜記念館(神奈川県・大磯)で見ています。(2022-03-11)
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