補陀落山
千燈寺跡
天台宗
★☆☆
仁聞
- 住所・電話
- 〒872-1404 大分県国東市国見町千燈1346 標高:188.7m 地図 GMAP
- 検索
- 同地区同宗派(17) ( 4km以内 ) 関連ページ(1) MAP 周辺のスポット(3) Links(1)
歴史
養老2年(718)仁聞菩薩による開基。当寺は仁聞菩薩の入寂の地であるとも伝えられている。
六郷満山中山本寺で、16の末寺を有し六郷満山の中核を成す寺院として栄え、「西の高野山」とも称された。しかし、天正年間(1573-1593)に大友宗麟による焼き討ちに遭って大規模な伽藍は焼失し、文禄年間(1593-1596)に再建されたものの往時の繁栄を取り戻すことはなかった。
現在の千燈寺は、この旧千燈寺の西の坊・下払坊が昭和初期に現在の地に移転したものである。旧千燈寺跡はかつては荒廃していたが、近年、旧千燈寺跡を含む千燈岳一帯が六郷満山ふれあい森林公園として整備されている。(以上、Links② 、現千燈寺境内の案内板より)
当地は仁聞菩薩が入寂した地という伝説が残っている。(境内の案内板より)
右の地図は、青いマーカーは作者が実際に目で見た所(スマホのGPSで記録)、黄色いマーカー(作者は未踏査)は現地案内板に掲載された地図より推定して配置したもの。
ひとくちメモ
参道口は千燈寺の門前の県道31号線沿いに南下した所にある。 大きな看板(道標)があるので安心である。
100mほど道なりに進むと、新道は木々に蔽われ昼間でも暗い道となる。 新道は舗装されており、本堂跡までは参道を縫うように走っている。その先は未踏査の為わからない。 西の坊跡の脇に広い駐車場がある。
山門から本堂跡(おそらくその先の奥の院・仁聞の墓・弘法堂まで)、参道には栗石が敷き詰められている。
全域人気が少ないので単独行は控えるべき。
参道口
![]() | ![]() |
参道口は県道31号線沿いにある。
現千燈寺の門前から200mほどの所である。
道標の最上部に「ふれあい森林公園」とあるが、家族連れで遊ぶ所ではなさそうだ。
山門
![]() | ![]() |
山門は慶應元年(1865)銘。
この場所から少し登った所に「行者■し」「宝篋印塔」の道標が見える。
鳥居
![]() | ![]() |
鳥居の束額に「六所宮」とある。
鳥居脇の石灯籠は文化13(1816)年銘。
西の坊跡
![]() | ![]() |
ここに案内板が2基ある。 確認できるものは法華経千部供養塔と僧坊跡の平坦面のみ。
この地点が駐車場に一番近い所である。
本堂跡
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
案内板によれば、ここには本堂(護摩堂)・庫裡・石造仁王像・石風呂があったという。
本堂の遺構は、本堂前の石段のみである。石造仁王像・石風呂は昔のままのようだ。 本堂に向かって右手に庫裡があったようだが、痕跡は確認できない。
本堂の石垣はほぼ完全に残っている。
ここの仁王像は保存状態は良好。すごい存在感である。
このすぐ上段には蔵王権現、その上段には講堂があったという。
講堂のすぐ上の参道は二股に分かれる。 左に曲がれば、奥の院、右に曲がれば仁聞の墓・弘法堂に登れる。
奥の院(未踏査)
案内板によれば、ここには奥の院(本堂)・磨崖釈迦図・仁聞入寂の岩屋・六所権現跡があるという。
前項の分かれ道から奥の院までの参道の後半部分は石段のようだ。
仁聞の墓・弘法堂(未踏査)
案内板によれば、ここには仁聞の墓・弘法堂・五輪塔群があるという。
さらにそこから登った所にも五輪塔群がみられるという。
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。