蟠龍護山
宝陀寺
[宝蛇福壽寺・宝陀禅寺]
臨済宗東福寺派
- 住所・電話
- 〒879-0902 大分県杵築市大田沓掛1361 標高:180.4m 地図 GMAP 0978-52-2249
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歴史
大同3年(808)、伝教大師(最澄)による創建。清水寺と号し、僧坊6坊を有した。この寺が宝陀寺の前身である。
延暦28年(804)、伝教大師が入唐の時、暴風雨が起こり、船が沈没しそうになった時、観音妙智力を念願して「日域帰朝の時千手大悲の尊像を彫刻し、清浄の城に安置せん」と唱えると、風が止み、無事に唐の明州に到着できた。 帰朝後、自ら千手千眼の尊像を刻み、この山に安置した。
時代は下って、豊後国主大友氏泰(1321-1362)[1]の家臣田原左近蔵人直平(この地の領主)と清水寺の住良義法印がある夜同じ観音菩薩の夢を見た。その後二人で本堂に泊まった所、二人共、夜半に白衣の神人が現われ「この地は三世諸仏説法の霊地なり、悟庵禅師はすなわち正法明如来の応化なり、汝宣しく寺を建てて迎え寺主たらしむべし、われはこれより護法善神として永く加護せん」と言って消えた夢を見た。
そこで東福寺の聖一国師の法孫、悟庵禅師を迎えて開山とし蟠龍護山宝蛇福壽寺と号した。元応2年(1320)[1]のことである。(以上、境内の石碑より)
寺に祀られている千手観音像は、推定平安時代の作。山門は寛永5年(1608)の作。(境内の案内板より)
ちなみに山号の「蟠龍」とはとぐろを巻いた龍の事。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
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