慈眼山観音院
永興寺
浄土宗
☆☆☆
日田神社
日田三十三観音霊場第1番
- 住所・電話
- 〒877-0004 大分県日田市城町2丁目2-8 標高:94.8m 地図 GMAP
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歴史
延久年間(1069-1072)新羅の僧智元による開基。日田郡大領大蔵永季が父永興を弔うために建立したと伝わる。代々大蔵氏の尊崇を受けた。
仏像8体を収蔵している。国重要文化財。
木造十一面観音立像(鎌倉時代)・木造兜跋毘沙門天立像(平安時代)・木造毘沙門天立像(平安時代)・木造毘沙門天立像(文治3年(1178)) ・木造四天王立像4躯(元亨元年(1321)-元亨2年)。(以上境内の案内板(日田市教育委員会)より)
門前には日田神社が鎮座している。当社では永季・永弘・永興の3柱が祀られている。
毎年1月3日09:00-13:00には「銭換」という仏事が催される。 「1年間お世話になった古い五円硬貨を、新しい五円硬貨に換える行事」という。
仏像拝観は一週間前迄の事前予約が必要。連絡先:0973-22-8085(大超寺)。
ひとくちメモ
参道口から頃く平坦な道である。 そこまでには、地蔵堂・大師堂・石仏群がみられる。 その先からは長い石段である。かなりきつい。 石段は途中で左に折れていたように記憶する。 石段を上り詰めると、宝物殿がある平坦面である。
正面に鐘楼、その先に宝物殿がある。鐘楼と宝物殿の間には多数の石塔・石仏群がみられる。 鐘楼からは、日田市内の町並みを一望できる。なかなかのものである。
宝物殿の横に坂道の登り口があり、少し登ると、薬師如来・宝篋印塔・野仏などが見られる。 さらにその先には山の上に向かって坂道が続いている。作者はここで体力温存の為、引き返した。
YOUTUBEの映像をみれば、さらにこの坂を登って行くと、日田郡代であった塩谷大四郎(1769-1736)の碑や野仏がみられるようだ。
下の写真は参道口から順番に掲示しています。 参道口の電柱には「慈眼山公園」と表記されているものの山門・看板などが設置されていないので少し分かりづらいかもしれない。 駐車場は東側の花月川の河川敷にある。
写真
参道口 地蔵堂 - 参道口(石段の手前) 大師堂 - 参道口(石段の手前) 石仏群 - 参道口(石段の手前) 看板 石段 収納庫 収納庫脇の石塔石仏群 鐘楼 日田の町並 - 鐘楼脇より撮影 広瀬淡窓の句碑 - 収納庫前 鐘楼 石仏群(大きな石仏は薬師如来) - 収納庫裏手 薬師如来(拡大) - 収納庫裏手 野仏(千手観音) - 収納庫裏手 宝篋印塔 - 収納庫裏手 さらに上り坂が続いている(作者はこの先は未踏査) - 収納庫裏手
日田神社
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境内の案内板の内容を下に記す。
この日田神社は相撲の神様で日田の郡司大蔵鬼太夫永季及びその祖永弘・永興の3柱を祭ってあります。
永季は相撲が強く日田殿と呼ばれ後三条天皇(1032-1073)の天覧相撲で出雲の小冠者を倒して優勝したといわれ天覧相撲には15回程出場し、相撲の神様としてあがめられています。
日本相撲協会も日田での巡業のときは必ず代表が参拝して相撲道の発展を祈願します。
日田市
永興寺の創建にも永季・永興が登場する。 当寺は当社の祭祀も行っていたのではないだろうか?
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