慈雲山
伝来寺
浄土真宗東本願寺派/単立
伝来寺庭園
歴史
延元3年(1338)、長谷部信雄[1]が大智禅師を迎え開基した。はじめは曹洞宗で慈雲山林泉と号した。 栃原村[2]にあったが、山城守重光が住職となり現在地に移転。 寛永21年(1643)浄土真宗に改め、慈雲山伝来寺と号した。
文政5年(1822)失火により消失したが嘉永(1848-1855)になり現本堂が完成(再建?)した。(境内の案内板(中津江村による)より)
寺の西隣に伝来寺庭園がある。
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
伝来寺庭園
境内の案内板(中津江村による)によれば、伝来寺の創建の144年前の建久4年(1194)に築かれたもの。 その後、伝来寺の堂宇改変のたびに修造された。昭和45年(1970)大分県指定名勝に指定された。
案内板の庭園の起源の説明の内容が作者はよく理解できない。 その部分を下に引用する。
庭園は後白河法王の第2王子以仁王の近侍、長谷部信連が王の遺児豊津宮を守りこの地に住んでいた。 建久4年(1194)源頼朝は藤のに巻狩りを催すにあたり故事に習う為梶原景季、仁田四郎を阿蘇大宮司に遣した。 その帰途この地に信連を訪ね王子を慰めるために築いたのが現在の庭園である。