金剛山
長安寺
[花の寺]
天台宗
★☆☆
仁聞
シャクナゲ
六郷満山中山本寺
太郎天像・2童子像
九州四十九院薬師霊場第9番札所
宇佐神宮六郷満山霊場第8番札所
- 住所・電話
- 〒879-0721 大分県豊後高田市加礼川635 標高:340.9m 地図 GMAP 0978-27-3842
- 検索
- 同地区同宗派(18) ( 4km以内 ) 関連ページ(1) MAP 周辺のスポット(2) Links(4)
- 参考
- 『国東半島の山岳霊場遺跡 資料集』 P136
歴史
寺のパンフレットによれば、養老2年(718)に仁聞菩薩によって開基されたと伝えられる。 当時は六郷満山の中山本寺として勢力を増大し、鎌倉期には六郷山の惣山として満山100余ケ寺を統治し学頭職として満山約1000の僧侶を統率していたという。
『国東六郷満山 霊場めぐり』によれば、 本山本寺の高山寺衰微に代わり満山の中核をになう存在であったという。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に組した大友義統は徳川方黒田如水の軍と石垣原の合戦で大敗。 大友方の吉弘統幸(長安寺の別当職)はこの合戦で壮絶な戦死を遂げた。 翌年、統幸の残党の居る屋山城は黒田軍により攻撃され、長安寺も運命を共にしたという。
元禄(1688-1704)期になって豪円和尚が長安寺の法灯を旧に復する(中興)。 しかし、六郷満山の統括の資格は長安寺には戻らず、杵築城主の崇敬を受けた両子寺が満山の支配力を獲得したという。
太郎天像(榧の木の一本造り/1.6m/大治5年(1130)銘)・2童子像と銅板経(20.9cm✕18.3cm✕0.3cm)19枚・経筥(保延7年(1141)銘)が所蔵されている。いずれも国指定文化財。
屋山城址は参道中ほどの大池へ向かう道を15分ほど登った所にあるという。
ひとくちメモ
本堂の標高341m(GoogleEarthにて測定)。もっと標高はあるかと思ったが意外と低い。 本堂の横幅はかなり長い。 この寺では最初から最後まで境内では作者一人の参拝であった。 本堂に参拝していると、お寺の坊守さんと思しき方(初老の女性)が出てこられ、立ち話。 やはり、冬は寒いとの事。 拝観料300円を収め、収納庫に案内される。
収納庫内の太郎天像と2童子像は目の前で拝む事ができる。 出来立てホヤホヤのような状態に見える。 900年もの間よくもこのような良好な状態で保存されていたものだとつくづく思う。 銅板経も、ガラス越しではあるが目の前で鑑賞できる。 一字5mm四方程度であろうか? 一字一字丁寧に漢字が刻まれている。 収納庫内には、大太鼓も安置されている。 太鼓の叩く面(革が貼られている面)が円形ではなく、よがんだ形。 珍しいものである。 これだけは実際に叩かせて頂けた。 歴史あるもののようである。
本堂裏手より、裏手の奥の院一帯にシャクナゲの木が多数ある。 見頃は4月15日頃〜5月10日頃という。 その頃には多数の花見客が観光バスでやってくるとの事。
伊藤氏メモ寺では30年ほど前から境内にシャクナゲを植え始めて、今では20種類のおよそ1万本にまで増えており、この時期は、直径10cmほどの白やピンクや赤の花を咲かせている。(2023.04.14「NHK大分/ニュース」より)
写真
本堂 本堂前 本堂 - 奥の院より撮影 本堂脇の宝篋印塔 本堂裏手の庭園(シャクナゲがベース。ツツジもみられる) もう一対の仁王像 護摩堂 護摩堂の扁額 収納庫(太郎天像と2童子像他所蔵) 鐘楼 奥の院 奥の院に通じる石段(左手に多数のシャクナゲ、右手には多数の歌碑) 奥の院に通じる石段(先の木々はほとんど全てシャクナゲ) 本堂前の風景 宗務所脇の石仏 宗務所(受付) 境内入口 太郎天像と2童子像 - 寺のパンフレットより引用 長安寺境内図(『国東半島の山岳霊場遺跡 資料集』より引用) 表札 秋(出典:寺社・仏閣|フォトギャラリー | 豊後高田市) シャクナゲ(出典:寺社・仏閣|フォトギャラリー | 豊後高田市) 梵鐘
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。
Links
①金剛山 長安寺 - 九州四十九院薬師霊場会
②長安寺|九州の霊場巡り
③豊後・屋山城(城郭放浪記)
④長安寺(花の寺) | たびらい