南陽山
勝光寺
仏教礼拝所
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六地蔵塔
大野川流域二十八ヶ所不動霊場第11番
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
町指定史跡南陽山勝光寺
(前略)はじめは天台宗であったが、南北朝には臨済宗東福寺派の三聖寺に属した。 ここは大友初代能直公の墓堂の跡と伝えられ豊後国志には「この地に大友能直の墓所があり、 公の死後、嗣子親秀が寺を建てて勝光寺と名づけた。 のち戸次氏が延元2年(1337)京都の普門大機禅師を招き荒廃を修復して旧寿永山を改めて南陽山と号した。」とある。
境内は東西凡そ40m南北46m。配置は平安時代の寝殿造りの一部を模し老樹の中には小池がある。 東の島の弁天前に明徳3年(1392)の宝篋印塔等能直公よかりの石塔類が多数ある。
本尊は不動明王木像座像。祭日は毎月25日。善男善女の参詣多く、また堂の後側より本尊の安置する床下に入り、頭を床に触れると所願成就するという言伝えがある。
ひとくちメモ
本堂(不動堂)は風格のある建物である。 境内には二層式の六地蔵塔がある。